黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)

93 志摩一宮を訪ねる

1 リアス式海岸志摩半島
 県民割を使って伊勢志摩に旅行してきました。割引があるといつもより少し良い宿が選べます。と言うことで選んだ賢島宝松苑でしたが、着いてみると親子連れの若い家族も多く、今のヤングファミリーは結構リッチだなと感心しました。
 志摩半島は、大部分が伊勢志摩国立公園で、島・岬・入り江の多いリアス式海岸として有名です。その雄大な景色を眺めようと、横山展望台に登りました。車を降り遊歩道を進むと、圧倒的な絶景が広がっていて感動でした。

2 皇大神宮別宮 伊雑宮
 私の旅の目的である伝建地区と一宮ですが、近畿地方で唯一残っていたのが志摩国でした。ここは全国にいくつかある一宮複数地域で、伊勢神宮の別宮である「伊雑宮」(いざわのみや)と安楽島(あらしま)にある「伊射波神社」(いざわじんじゃ)が一宮です。
 「伊雑宮」(いざわのみや)は、伊勢内宮の別宮として格式が高く、厳かな感じがしました。本殿にお参りすると、隣に同じ広さの場所があったので聞くと、やはり式年遷宮のための敷地で、20年に一度、内宮に一年遅れて執り行われるとのことでした。

3 伊射波神社
 伊射波神社(いざわじんじゃ)は、すべての一宮で辿り着くのが一番大変と言われている場所です。隠岐対馬に比べれば陸続きなのでそんな事は無いだろうと思いつつ、心してお参りしました。大変だと言われている理由は5つです。
 ①規模が小さいので分かりにくいこと
 ②半島の中にあるので、海辺と山中の両方を越えて向かうこと
 ③駐車場が分かりにくい上、そこから先はミニ登山並みの山道が待っていること
 ④宮司さんの家が麓から離れた集落内にあり、御朱印をもらうのが大変なこと
 ⑤公共交通機関ではアクセスがし辛いこと
 それでもGoogleマップには63件のクチコミがあり、評価ポイントも4.4でしたので、参拝した人達は苦労しながら満足したことが分かります。期待を持ちながら鬱蒼とした道や石段を進みましたが、やはり大変でした。二人で来て良かったなと感じました(笑)

4 伊勢内宮とおかげ横丁
 帰路、内宮にお参りしました。こちらは凄い人出で、駐車場に入るまでにかなり時間が掛かりました。以前初詣に来た時のことを思い出します。みんなコロナ下のお出かけ自粛モードから、解き放たれたのでしょうか。
 お参りの後は前回も立ち寄った「五十鈴川カフェ(HP画像)で、お茶とケーキにしました。夏の終わりに良い旅が出来ました。


 

92 山城国一宮へ

1 涼をもたらす神社の森
 京都市まで出向いたついでに、世界遺産上賀茂神社下鴨神社にお参りして来ました。猛暑の中ですが神社は樹木が鬱蒼としているので、中心部よりはいくらか涼しい感じです。二社とも平安京遷都後に造営されたものと思っていましたが、それ以前からこの地で崇敬を集めていたようです。
 正式な社名は、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)・賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)で、京都三大祭りの葵祭は両社の例祭です。庶民の祭りである祇園祭に対して葵祭は貴族の祭で、日本の祭の中で数少ない王朝風俗の伝統が残されています。

上賀茂神社一の鳥居から二の鳥居を望む。下の中門・楼門は共に国重要文化財、国宝の本殿・権殿は撮影禁止

2 カップルや親子連れ
 暑い夏の昼下がりでしたが、多くの人が参拝に来ていました。最近はどこの神社に行っても感じることですが、カップルや家族連れなど若い人達が多く、ここも例外ではありませんでした。鳥居で礼をする参拝者も増え、時代は随分変わったなと感じます。
 親子連れにもたくさん出会いました。小さな子達が参拝後に「ありがとうございました!」と言っているのが可愛くて、思わず「ぼく良い子やなぁ!」と呟いていました。

森の中に立派な姿を現す下鴨神社の楼門(国重要文化財)、下の画像は西本殿と糺の森の参道を歩く人々

賀茂別雷神社上賀茂神社)・賀茂御祖神社下鴨神社)の御朱印。以前にお参りした際にいただいてました!

p.s. 京都三大祭りの祇園祭時代祭には来ていますが、残念ながら葵祭はないので、来年こそはと心に秘めています!(画像は京都観光ナビ・web版月刊「茶の間」より)

 

 

91 祇園新橋の持つ風情

 1 古都の風情漂う新橋
 伝建地区の中には若い頃(フィルムカメラの時代)に訪れ、画像が残っていない地区がたくさんあり、ここ祇園新橋も改めて撮影に来たいと以前より考えていた場所です。
 さすがに京都を代表する茶屋町として、大変洗練された景観をみせていました。

2 古都で食するラーメン
 巽橋を渡った所の路地にある「麺処むらじ」で、ランチを取ることにしました。この辺りは時代劇のロケ地として有名で、最も京都らしい風情が残るので、着物姿の女性観光客もたくさん見かけました。
 店の外観は京都っぽい感じで素敵でした。暖簾をくぐり町家らしい階段を2階へ上がると、割烹のような高級な雰囲気でもあり、かつカフェのようなシンプルな雰囲気でもあり、落ち着いた印象です。注文したのは鶏白ラーメン、あっさりしているけどコクもある美味しいものでした。素揚げした牛蒡がのっていて、味も見た目もいい感じでした。


3 電柱の地中化を
 さすが京都という町並でしたが、何と電柱の地中化がまだでした。町並の和の雰囲気を画角に納めようとするのですが、縦棒や横線が邪魔をし、どことなく落ち着かない画像になってしまいます。ちむどんどん的に言うと「まさかやぁー!」で驚きました。無電柱で祇園の花街らしい雰囲気がより引き立つようになった頃、再び訪れたいと思いながらシャッターを押しました。

 

 

90 寂光院と建礼門院

1 大原の里 寂光院を目指す
 残暑厳しいこの時期、涼を求めそしてブラタモリの放送に惹かれ、京都大原寂光院を訪ねました。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の平家の最期にも影響されています。
 大原の里は京都市とは言え非常に山里ですが、そのまま国道367号鯖街道)を北に進むと、かつて足利将軍が滞在した朽木や、伝統的建造物群保存地区の熊川宿を経て小浜に抜けますから、意外と交通の要衝であったとも言えます。

朽木・興聖寺の足利庭園。12代将軍義晴・13代将軍義輝が、朽木氏を頼って数年間滞在した居館に作られた。

2 平家ゆかり建礼門院隠棲の地
 寂光院天台宗の尼寺で、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられています。寂光院が広く知られる様になり三千院と並ぶ観光地になったのは、やはり建礼門院隠棲の地であったことが大きいでしょう。

 建礼門院徳子は、平清盛の娘で高倉天皇中宮、そして安徳天皇の母という栄華を極めた女性ですが、源平の合戦に敗れた後、平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔いながら、寂光院で終生を過ごしました。
 境内には『平家物語』にも登場する、汀の池(左)や千年の姫小松(右)が、ひっそりと佇んでいます。姫小松は、後白河上皇の大原御幸で詠まれている松で、花摘みから帰って来た徳子は、ここで後白河法皇と対面しました。

境内西に建礼門院が過ごした御庵室遺跡がある。およそ5畳半の狭い庵で、訪ねて来た後白河法皇の涙を誘う。

3 しば漬けと大原女
 ブラタモリでも紹介されましたが、建礼門院は村人から赤紫蘇を使った漬物を贈られ、その美味しさに感動し「柴葉漬」と名付け、現在の「しば漬け」となりました。また建礼門院に仕えていた阿波内侍の山仕事の格好を、地元の女性が真似したのが大原女の始まりだそうです。土井志ば漬本舗・大原観光保勝会のHPより)
 ブラタモリの旅のお題は「京都・大原~なぜ大原は“癒やしの里”になった?~」でした。建礼門院徳子が、逆境の中でも村人達と温かい交流を持ち生きていたことを知ると、確かに元気を貰え癒やしになりました。

4 更に涼を求めて
 帰路、久しぶりに比叡山ドライブウェーに寄りました。頂上に着くと5℃程涼しいので、すっかり汗は引きました。初めて来た小学生の時、道端の「エンジンブレーキを使いましょう」の看板が意味不明で、しきりに父に尋ねたことを思い出しました。「エンジンは車を進める物、ブレーキは止める物。エンジンブレーキってどう言うこと」、執拗に父に聞いていました。今は懐かしい記憶です。

京都市大津市も一望できる比叡山ドライブウェー。中央に見えるのが近江大橋びわ大津プリンスホテル

 

89 私の畑作りその後

1 初めてマルチを張る
 二畝を借りて始めた今年の畑作り、自宅から少し遠いので(車で45分)、頻繁に見に行くことは出来ません。サツマイモなら、根が付けば放っておいても大丈夫だろう、という横着農業でした。実際水遣りに行ったのは最初の一週間だけ、それでも元気に夏を迎えました。
 予想と違ったのは雑草問題です。プランター野菜の経験しか無かった私ですが、今年初めてマルチで覆いました。これで秋の収穫まで草は生えないのかな、と気楽なことを考えていましたが、お盆に見に行くと凄いことになっていました。

2 劇的ビフォーアフター
 ここから一念発起、すべての雑草を取り除く日を作り、猛暑日の中、長袖長ズボン作業用ゴム手で汗だくになりながら頑張り、何とか畑らしくなりました。こうして2枚の画像を並べてみると、何とも充実感でいっぱいです。秋の収穫が楽しみです。

 

 

88 京都の伝建地区「産寧坂」

1 修学旅行と伝建地区
 重要伝統的建造物群保存地区の指定は昭和51年の7地区(角館・妻籠・白川村・産寧坂祇園新橋・萩堀内・萩平安古)からスタートしました。その産寧坂を含む京都市東山エリアについては、様々な思い出があります。
 大学に入るまで、清水の舞台を知りませんでした。東山界隈に観光に来たことがないので当然と言えば当然です。ところが同級生の多くは、中高どちらかの修学旅行で京都に来ています。ガイドさんに案内されて清水周辺を回り、友達と一緒に買い物をしたはずですから、強く思い出に残っているでしょうが、我々関西の修学旅行は東京や九州です。そうすると身近にありながら意外と京都の観光地を知りません。「清水の舞台って何?」と質問して笑われました。

東山エリアどこからもよく見える八坂の塔、遠くに京都タワー。若者でにぎわう産寧坂

産寧坂から北に歩くと二年坂に入る。伝統的な景観を生かし土産物店や飲食店が並ぶ。

2 友人と出かけた産寧坂
 同じサークルに関西出身の友人がいました。清水寺に行ったことがないという点で、二人は共通していたので、これはまずい!と言うことになって相談し、帰省した時に一緒に東山エリアを散策しました。清水の舞台はもちろん産寧坂付近の景観や風情をじっくり味わい、自分の中に欠けていたピースがカチッと収まった感じでホッとしました。
 円山公園の中にあった長楽館というお洒落な建物でお茶にしました。明治の実業家の建てた迎賓館で、伊藤博文揮毫の扁額が飾られている有名な建物です。この時は食事の様な珈琲の価格に驚き二人で目が点になりましたが、最近家内と訪れた時は「この場所なら仕方ないよね!」と共通の感想で、昭和の記憶は遠くなりにけりでした。

二年坂を北に抜けるとねねの道そして高台寺円山公園に入ると長楽館が眼に入る。

3 東山エリアの後日譚
 時は経って平成25年、娘夫婦が八坂神社で結婚式を挙げました。本殿手前の舞殿での挙式は、周りを参拝者や観光客に囲まれ気恥ずかしいものの晴れやかで、インバウンドの人達が「キモノ!」と言いながら、笑顔でシャッターを押していました。およそ40年の時を経て同じ東山エリアで、貧乏学生だった私は花嫁の父になっていました(笑)

 

 

87 大都市の伝建地区

1 名古屋市有松地区
 伝統的建造物群保存地区は、昭和に選定されている地域の場合、既に観光地として著名な地区であった場合が多いのですが(角館や妻籠、白川村など)、その後平成に入り、高度成長が終焉して人口減少が進む中、町おこし・町づくりの起爆剤としての期待を担う様になって来ました。
 そのため地方都市(町や村)が増え、次第に大都市とは無縁の存在になっていきます。そんな中、平成28年に指定された名古屋市有松地区は、非常に珍しい事例です。

     有松絞り老舗・井桁屋       今も有松絞りを販売する中濱家

2 東海道を代表する土産物
 絞り染めは、東海道を往来する旅人の土産物としてが考案され、その「有松絞り」とともに町が発展しました。その繁栄ぶりは、広重の浮世絵に描かれたほどです。
 町並の中心「有松・鳴海絞会館」には駐車場が併設されていて、大変訪ねやすい伝建地区でもありました。絞会館では、絞りについて学んだり体験したり出来るだけでなく、即売もされているので製品を一堂に見ることもでき助かりました。

広重『東海道五拾三次 鳴海・〔名物有松絞〕』 (国立国会図書館デジタルコレクション)

  東海道に沿った古い町並と絞会館    有松絞り井桁屋の手ぬぐい(井桁屋HPより)

3 広い間口の建物
 絞会館に車を停め、ゆるやかに曲がった東海道に沿って歩くと、広い間口を持つ歴史的な建物や塀が数多く見られます。他の商家町に比べ建物が大きいのは、さすが東海道沿いの町と言う感じですが、職人の町で建物が工場機能も持っていたからでしょうか。

    蔵と並んで建つ服部家住宅       間口の広い棚橋家住宅

 

 

86 夏の身近な自然

1 夏のセミの声
 庭の木が朝からセミの声でうるさいので見に行くと、クマゼミでした。子どもの頃は近所で見かけることはなく、大人になって九州で見たのが最初の経験です。家族で長崎に旅行した際、人の背丈ほどの樹木でやたら大きな声で鳴いているので、びっくりした思い出があります。子ども達は「セミがいた!」と見つけて喜んでいました。
 やはり温暖化の影響でしょうか。最近は関東の辺りでも見かけるようです。そう言えば現在の東京は江戸時代の土佐くらいの気候だそうです。ともあれ、高い所で鳴くアブラゼミと違って低木にいるのでうまく撮影できました。

2 夏の庭木の剪定
 夏は庭の木の剪定が大変で、特にプリペットは凄いスピードで伸びます。自然な感じの生垣にしたいので揃えて伐採しないため(バリカンは使わない)、一本一本鋏を入れる手入れになっていて苦労します(画像手前は作業済After、奥はこれからBefore)
 とにかく生育旺盛な植物なので樹形が乱れやすく、木の健康面にも悪影響が出やすいので気にはなるのですが、頻繁な手入れが面倒くさく、時々根っこから切ってしまいたくなります(笑)

3 夏のフルーツの収穫
 実家にブルーベリーの木が何本か植わっていて、夏になると大量に実がなります。特に何も世話はしていないので甘みは今一ですが、それでもその場で取って食せるのは魅力で、お盆に墓参りに帰った際、上の孫(6歳女児)を先頭に、息子の嫁も私の家内も、凄く盛り上がっていました。どうも男以上に経済観念の発達している女性陣は、ただ(無料)の食べ物という物にアドレナリンが出るのでしょうか?

 

85 お奨めの伝建地区5つ

1 伝建地区訪問ラストスパート
 伝建地区全126ヶ所の内、これまでに104地区の訪問を終えています。率にすると82.5%ですから、いよいよラストスパートといった感じです。
 思えば昭和61年に、仕事の関係で訪れた白川村荻町で「重要伝統的建造物群保存地区」という文化財保護制度に初めて出会い、約40年近くかけて各地を回ってきました。当時の指定地区は30地区足らずだったので、すぐに終わるだろうと思いつつ始めた挑戦でしたが、「思えば遠く来たもんだ(武田鉄矢)」といった感じです。
 残る訪問予定の内、大口の地域は関東と南九州です。秋にこの2地区を重点的に回る計画で、そうすると残りは北海道・沖縄といった遠方と、佐渡・平戸と言った離島です。

2 友人にお奨めした伝建地区ベスト5
 友人に「訪問地区が100を越えた」と報告していたら、「ベスト5を教えてほしい!」と言われました。改めて振り返ってみると、意外に難しい質問です。白川村や高山、妻籠奈良井宿などは関西人は既に旅行している場合が多いので、もう少し遠方を中心に「再訪したい、友人を連れて行きたい」、強くそう思った5ヶ所(大内宿・海野宿・吹屋・東祖谷・杵築)を答えておきました。

 

 

84 瀬戸内 もう一つの海道

1 とびしま海道
 瀬戸内には「しまなみ海道」と並んで「とびしま海道」があります。下の地図が分かりやすいと思いますが、呉市から7本の橋で岡村島まで繋がっていて、後少しで「しまなみ海道大三島ですので、ここも繋がると更に魅力的です。
 関西側からのアクセスには大崎汽船を利用します。竹原港から大崎上島(白水港)までは大人360円・5m未満の車2670円・所要時間は30分です。その後大崎上島明石港)から大崎下島(小長港)まではしまなみ海運の船で、大人330円・5m未満の車2240円・所要時間は15分なので、意外にリーズナブルです。
 特に予約の必要もなく、GWでも十分乗船できました。関西在住者としては、海を渡ると言うと長距離フェリーをイメージしますが、ほとんど「渡し船」の様な感覚で気軽に利用できます(笑)

  とびしま海道西端「安芸灘大橋」    大崎上島に向かう大崎汽船のフェリー

2 伝統的建造物群保存地区「御手洗」
 「とびしま海道」に連なる大崎下島呉市)に、伝建地区の「豊町御手洗」地区があります。ここは江戸期に潮待ち港として、北前船など廻船が寄港するようになり発展します。幕府の船や参勤交代の船なども寄含め、人と物の流れの重要な中継点となる中で、豪商が誕生し町は大いに繁栄し、今も町並にその名残が窺えます。
 ここも家族に乾杯で登場しています。旅のゲストは、俳優でコメディアンの柄本明さんでした。『この島には来たことが無い』と言うことで選ばれたはずの町でしたが、伊能忠敬が泊ったという「旧柴屋住宅」に案内してもらうと、『私、ここ入りました』と柄本さんが気が付き、楽しい展開でした。

常盤町通り(江戸の街並み)と伊能忠敬が立ち寄ったまち並保存センター(旧柴屋住宅)

3 上から眺める伝建地区
 町並の背後の丘(山)にある「歴史の見える丘公園」から、町を見下ろすことが出来ます。歴史的な建物の屋根が並ぶ向こうに瀬戸内の海が重なり、数多くの伝建地区の中でも特徴のある絶景です。車で10分程で登れるので町中の歴史的な建造物以上にお奨めの場所と言えます。

 

 

83 息子夫婦のお誘い

1 息子夫婦からのお誘い
 同じ市内に住む息子家族から、「一緒に旅行しよう!」と誘いがありました。こういう場合、費用はシニア持ちになる事も多いのですが、よく聞くと「就活の時に世話になった御礼をしておきたい」とのこと、二人の子の父になり少し親の気持ちが分かる様になったかと、家内と二人嬉しい驚きでした。
 当時リーマンショックの余波でまだ就活が大変だった時代です。懸命に取り組む子ども達を何とか応援してやりたいと「交通費とか一切気にすることなく、これを使え!」とまとまったお金を渡していたらしいのですが、私達夫婦には記憶に残っていませんでした。まあ子ども達も三十代半ばになり、余裕も出来てきたということなのでしょう。

2 想定外の北陸旅行
 まだ孫達も小さいので(6歳ともうすぐ2歳)、それ程遠くない場所と言うことで福井県の恐竜博物館に行くことになりました。宿は芦原温泉という旅程です。その道中で下の画像の場所(中部縦貫自動車道九頭竜ダム)は本来なら通りませんが、前日から豪雨災害で北陸道が閉鎖になり、東海北陸道から国道158号を経て勝山に入るルートを取りました(随分遠回りで大変!)。

3 世界三大恐竜博物館
 福井県立恐竜博物館は恐竜をテーマにした自然史博物館です。カナダのロイヤル・ティレル古生物学博物館、中国の自貢恐竜博物館と並び、世界三大恐竜博物館と称されているそうです。凄いですね。到着すると、恐竜の卵のような巨大な銀色のドームの中に入り、大迫力の恐竜の世界でした。全身骨格やジオラマ・化石など貴重な展示で、訪れる人々を楽しませてくれます。(上の画像は博物館HPより)

4 かつやまディノパーク
 恐竜博物館から歩いて5分もかからないところに、「かつやまディノパーク」はありました。この施設はウォーキングしながら楽しめるアミューズメント施設で、園内に多数の恐竜がいてさながら和製ジュラシックパークのミニチュア版といった感じでした。身体の一部が動き鳴き声を上げている恐竜が多数いるので、おっかなびっくり(特に孫達!)の楽しい一時でした。

5 越前松島水族館
 翌日は越前松島水族館です。恐竜博物館もそうでしたが、どちらの施設もよくコロナ対策が施されていることもあってか、多くの家族連れで賑わっていました。ようやく本来の夏休みが戻ってきた感じで、来年から小学校に入る上の子の事を思い、少し安堵する爺でした。

p.s.車は日産セレナe-POWER、6人乗っても快適な旅でした!

 

 

82 続・家族に乾杯と伝建地区

1 「井伊直虎」の寺「龍潭寺
 豊田市とはいうものの、足助地区は信州寄りの山中にあり、長らく訪れにくい場所でしたが、浜松の「龍潭寺」へ訪れた帰りに思い切って立ち寄りました。
 井伊家の菩提寺大河ドラマ井伊直虎」ゆかりの古刹です。東海一の名園とも言われる小堀遠州作の美しい庭園も見事でした。

2 伝統的建造物群保存地区豊田市足助」
 家族に乾杯で豊田市足助の回もよく覚えています。最初は「あすけ」の読み方が分からず、何県にあるのかも不明でしたが、奥三河で足助宿として栄えた愛知県東加茂郡足助町が、平成17年に豊田市編入されていました。
 この時のゲストは近藤正臣さん、歴史ファンとしては大河ドラマで何度も登場されているので、親しみを感じる俳優さんです。中でも子ども時代の記憶が一番強く、国盗り物語での明智光秀役が強く印象に残ります。二人は「足助川」のほとりでの待ち合わせでしたが、近くには香嵐渓もあり、歴史と自然の調和した町です。

3 人気の観光スポット「マンリン小路」
 鶴瓶さんが出会いを求めて歩いていると、「マンリン書店」の女将さんに出会います。店の奥にはカフェと土蔵があり、その横の路地は「マンリン小路」と呼ばれ、人気の観光スポットだと分かりました。
 鶴瓶さんがカフェでコーヒーを頂きながら、女将さんに『近藤正臣も絶対ここ来るわ』と話していたちょうどその時、マンリン小路が気になり通りかかった近藤さんが、店内を覗き鶴瓶さんとバッタリ再会、とても記憶に残るシーンでした。

         マンリン書店(全建協HPより)とマンリン小路

   太田家住宅(三嶋館)    莨屋塩座前の町並   井筒亀(季節料理)前の町並

 

81 家族に乾杯と伝建地区

1 NHKの「家族に乾杯」
 「家族に乾杯」は最近あまり見なくなっていますが、以前の放送で伝建地区が舞台になった時のことは、今でもいくつか覚えています。とりわけ鶴甁さんが神木隆之介さんと訪れた愛媛県内子の回が印象に残っていて、町並の様子も内子座インパクトがあり、いつか訪れたいと思っていた町でした。
 仕事の関係で八幡浜に出張になった際、内子のことを思い出しました。行く道中で松山自動車道のインターからも近いので、少し時間に都合を付ければ訪問が可能です。

        国重要文化財「本芳我家住宅」と「上芳我家住宅」

2 伝建地区「八日市護国」
 江戸後期から明治の豪商屋敷や町家が軒を連ね、木蠟生産で栄えたかつての面影を残していました。白壁や卯建など様々な特徴のある建物が並び、国重要文化財の本芳我家住宅、上芳我家住宅を含む約600mの通り一帯が、最も「重要伝統的建造物群保存地区」らしい景観が続きます。

         国重要文化財「木村家」前のにぎわいと枡形

3 国重要文化財内子座
 伝建地区から少し距離があったので、車で移動すると駐車場が用意されていました。大正天皇の即位を祝い創建された木造2階建ての芝居小屋は、回り舞台や花道,桝席,楽屋など、当時の建築技術の粋が集められたそうで、今も現役です。

      建物の前には幟が立ちならび芝居小屋らしい雰囲気

 

 

80 訪問後、伝建地区に

1 杵築市「北台南台地区」訪問のきっかけ
 杵築(きつき)市は国東半島の根元にあり、別府湾沿岸に位置する武家町です。湯布院に旅行した翌日に訪れました。当時は伝建地区ではありませんでしたが、時代劇の舞台となっていた坂道や武家屋敷街がとても印象的で、「なぜここが伝建地区でないのかなぁ?」と思いながら町を歩きました。

        中根邸前から見る北台「酢屋の坂」と「大原邸」

2 「塩屋の坂」から見た「酢屋の坂」
 南北に分かれた台地にあるので北台南台と呼ばれ、杵築藩上級武士の住んだ地区です。その歴史を受け継いだ伝統的な建物がよく残り、平成29年「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されました。
 中でも地形が巧みに生かされ、雄大で独特な景観の「酢屋の坂」が、訪れる者の眼を圧倒します。

   南台「塩屋の坂」から見た北台「酢屋の坂」、雄大で独特の見事な景観

3 城下町の風情を残す武家屋敷街
 北台南台どちらも城下町の風情がよく残り、楽しい町歩きが期待できます。所々に見学できる屋敷跡が残り、大原邸などていねいな解説で旅人の関心によく応えてくれました。
 二つの台地の間を、市役所に続く現在の幹線道路が走ります。この新しい道路沿いも風致地区に合った建物が続き、伝建地区らしい都市景観で応援したくなる町でした。

  城下町の風情がよく残る武家屋敷群と北台南台の間を走る町のメインストリート

 

79 続々・朝ドラと伝建地区

1 ちりとてちんと「小浜西組」
 朝ドラの「ちりとてちん」(平成19年度後期)は、ヒロイン(貫地谷しほり)が小浜市で少女期を過ごした設定であったことから、伝建地区「小浜西組」が登場します。
 ここは江戸時代、北前船でにぎわう茶屋街として栄えた町(三丁町)で、今も千本格子のある建物が軒を連ね往時をしのぶことができます。ドラマでは、祖母・小梅( 江波杏子)が元芸妓という設定で、またヒロインの小学校への通学路としても登場しました。

2 山門と石段と電車
 山門と石階段の間を電車(小浜線)が走り抜ける常高寺は、どこか懐かしい記憶につながる情景です。この石階段に座って、ヒロイン喜代美が親友順子と相談をするシーンが登場しました。
 町並からの参道の正面に石段が見え、そのまま上ろうと向かうと線路に遮られ、不思議な体験です(回り道を誘導する親切な表示があり助かりました)。

3 小浜市へのエール
 歴史的・文化的景観に配慮して町並を形成し、歴史的資源を活用した魅力を発信したいと考えている小浜市にとって、町の一部が重要伝統的建造物群保存地区に指定されたこと(平成20年)、同じ時期に小浜西組が朝ドラの舞台になったことは、町づくりの大きな飛躍と時期になったと思われます。
 さらに伝建地区に続く町並も、市が継続的に手を入れて整備を図っていることがよく分かり、今後共応援していきたい素敵な町でした。