1 東北道を南下、盛岡へ
東北ツアー7日目(4/24)、今日は八戸から仙台に向けて300km以上走行します。岩手県に入り盛岡を目指していると、前方に巨大な山塊が見えて来ました。岩手山です。東北地方はどこも平野が広く高い山が聳えるため、富士山を見るような感じです。
時間の関係で車から見るだけでしたが、100名城の盛岡城に立ち寄りました。東北の県庁所在地はどこも美しく、盛岡城の桜や石垣と見事に調和していました。
(上左)雄大な岩手山 (上右)盛岡城の石垣と桜 (下)不来方橋から見る岩手山
2 岩手県唯一の伝建地区金ケ崎
花巻・北上を過ぎ金ケ崎町城内諏訪小路地区に着きました。ここは街路に面して生垣と屋敷林が連なり、その奥に武家住宅が配される自然環境豊かな伝建地区でした。まちなみ交流館の方も歴史館の方も大変親切で、関西から全国の重伝建巡りでやって来たと伝えると、「ご苦労様です」と労いの言葉をいただき、遠路やって来た甲斐がありました。
(上)菅原家住宅 (中)整備された旧大沼家侍住宅 (右)金ケ崎要害歴史館
3 陸奥国一宮 鹽竈神社(塩釜「しおがま」)
宮城県に入り一宮を目指します。鹽竈神社と志波彦神社は併設されているので境内がとても広く 大勢の参拝客で賑わっていました。ご朱印帳を渡す際、弥彦神社の隣にとお願いしたのですが、二社の朱印を押すので見開きで「陸奥国一宮之」となりました。迫力があり良い感じです。はじめての経験でした。
(上)参拝者が非常に多い陸奥国一宮・鹽竈神社 (下)二つセットの御朱印
4 奥の細道ゆかりの場所
鹽竈神社には、藤原忠衡が義経と藤原家のために寄進した「文治の燈籠」があり、元禄2年に芭蕉が曽良と参詣しました。『奥の細道』でこの燈籠に触れ「渠(かれ)は勇義忠孝の士なり」と記しています。
多賀城跡近くの丘には多賀城碑が残っています。この碑は奈良時代の古碑で、西行や源頼朝も詠んだ歌枕の壺碑(つぼのいしぶみ)として知られていて、松尾芭蕉も訪れ対面した感激を『奥の細道』に記しました。
芭蕉が参詣した「文治の燈籠」 対面した感激が『奥の細道』に記されている多賀城碑
5 蔵の町村田
今回のツアー最後の重伝建の宮城県村田町村田地区、これで東北地方すべて訪問になります。ここは街道に沿って町並みが形成された商家町で、店は土蔵造りが多く、江戸後期から近代にかけて繁栄した町並みが、重厚な景観をつくり出していました。
日が暮れかけていたので足早に車を止め案内所に入ると、伝統的な建物が被害を受けた東日本大震災からの復興を機に重伝建の指定を受けたため、町づくりはまだまだこれからだと教えられ、町毎に様々な背景がある事を改めて実感しました。
そして東北最後の夜、仙台へ向けUターンし東北道菅生PAで車中泊です。旅の記念に牛タンを食べました(笑)
(上)旧大沼家住宅と蔵を生かした八百屋カフェLeCocon藍 (下)食堂「杜の牛たん」