1 萩往還って何
道の駅萩往還(はぎおうかん)で目覚めました。見ると国道を覆うウェルカムゲート的な大門にびっくり、萩の人達の旅行者に対する思いが凝縮されている感じです。
萩往還とは、参勤交代や人々の往来で使う日本海側(萩市)と瀬戸内側(防府市)を結ぶ53kmの街道のことで、幕末には維新の志士たちが行き来したので、その銅像が迎えてくれました。
その萩往還沿いの山間部に位置し、藩主の休憩する宿場として町並みが出来たのが佐々並市地区で、重伝建に指定されています。萩は人口5万ですが重伝建4箇所で京都市と並んで最多、歴史の濃さが伝わって来ます。
(左)大門とタイルの色を変えた萩往還 (中)伊藤博文・木戸孝允・山県有朋 (右)佐々並市地区
2 明治維新と吉田松陰
日本史に大きな影響を与えた人物を人に聞けば、おそらく松陰は上位に入るでしょう。行動の人であったとともに思索の人でもあったので、現代に生きる我々への影響力は信長や龍馬以上かも知れません。
そんな彼の持つ思想の一端が、松陰神社境内の句碑から知れました。29歳で没した若者の言葉とはとても思えず、仙人のような姿が思い浮かびます。
気節行義は村塾の第一義なり 徒に書を読むのみに非ざるなり。
境順なる者は怠り易く 境逆なる者は励み易し
苟も能く志立たば為すべからざるの事なく 為すべからざるの地なし
死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし生きて大業の見込あらばいつもでも生くべし
150年を越える時を経て、なお私達の心に響いてくる言葉です。同じ地で同じ時を生きた若者達は、強く魂を揺さぶられたことでしょう。
(左)参拝者の多い松陰神社 (中)世界遺産にも登録されている松下村塾 (右)伊藤博文旧宅
3 城下町萩の魅力
重臣の住む侍屋敷が並んでいた旧三の丸にあたる堀内地区も、多くの武士が暮らした平安古(ひやこ)地区も伝建地区で、近世城下町の雰囲気をよく残していました。
特に印象に残ったのが、見事に現存する鍵曲(かいまがり)です。城下に攻めてきた敵を迷わせ、追い詰めて行く工夫の一つです。左右を土塀で囲み道を鍵手型に曲げることで迷路のようになっていて、「堀内鍵曲」「平安古鍵曲」が往時の面影を色濃く残していました。
(左)萩城 (中)堀内地区・家老クラスの屋敷跡 (右)重要文化財口羽家住宅・旧萩藩江戸藩邸移築門
(左)堀内追廻し筋の鍵曲 (中)平安古(ひやこ)鍵曲 (右)維新後の萩の財政を立て直した夏みかん
4 長門一宮
萩を後にし角島大橋のある豊北町を経由して、下関に向かいました。目指すのは長門一宮住吉神社です。海上の無事を祈る海の神として知られています。同じ一宮の住吉大社(摂津国)は、遣唐使の派遣に際し必ず海上の無事を祈りました。
案内によると、ここ長門の住吉神社は大阪・博多の住吉大社とあわせ日本三大住吉でした。本殿は国宝、拝殿も重要文化財、建物二つが指定されているのは凄い事でした。