黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)

42 北国街道の古い宿場町

1 宿場町のたたずまい
 福井県南越前町今庄宿は、慶長年間に福井藩主(結城氏)が北国街道に整備したのが始まりで、宿場町として繁栄し旅籠や茶屋などが軒を連ねたました。建物の多くは、江戸末期文政の大火の後、昭和三十年代にかけて建てられたもののようで、太い梁が張り出し豪雪地帯ならではのたたずまいを伝えています。

【上】今庄駅横の案内大看板 【左】昭和館横の脇本陣跡 【右】重要伝統的建造物群保存地区選定を祝う幕
2 地域の古老との話
 歴史的な町並みの中に近代的な建物(昭和初期に建てられた「昭和会館」国登録有形文化財)が見えたので、気になって道路端にあったスペースに車を止めました。案内を書いた大きな表示板もあったので読もうとすると、ずっとこちらを見ておられた高齢の女性が近付いて来ました。”マナーの悪い旅行者と注意されるのか”と緊張して待っていると、こんなやり取りが始まりました。
 女性「旅行者か?」(かなり御高齢、上から目線の言葉だが親しみを感じる!)
 私 「はい。古い町並みを見せてもらいに寄りました。」
怒られそうな雰囲気に見えましたが、意外にそうでもありません。
 女性「あんたは良い人につかまった。古くからのこの辺りのことを一番知っているのが私や。昭和の初めにここに生まれて、ずっとこの町で暮らしてきた。」
 私 「ありがとうございます。どの辺りを見ると良いですか?」
 女性「まずあんたが車を停めたその向こう、天皇陛下が休まれた場所や。今庄はそれで有名になった。反対側の立派な建物、全然古びたように見えんやろ。『昭和館』言うてこの辺りの偉人田中和吉さんが、自分の財産を使って建てられたんや。私らが若い頃は、南条郡の集まりは、青年団でも何でも全部ここであった立派な施設や。」
 私 「そんな昔の建物には見えませんでした。」
 女性「和吉さんの建物やからしっかり拵えたるからな。町並はいろんな建物があるけど全部古い。」
 私 「(それを見に来たんですけどとは言いにくい)。古い建物はどれを見るのが良いですか?」と聞くと、場所を指さしながらそれぞれの特徴・店の歴史を語って下さった。
 女性「何よりここは鉄道の町やった。たーくさんの人が国鉄で働いとった。そりゃもう当時は凄い賑やかやった。どの店もよーお繁盛しとった。駅には寄ったか?(まだだと答えると)大きな駅やったことが分かるから寄ってみ!」

昭和館明治天皇行在所

京藤甚五郎家と旅籠若狭屋、堀口酒造と今庄駅弁の大黒屋

 四国出羽島で出会った高齢の男性も、船の時刻が気になる私の素振りをものともせず、津波と島の歴史など熱く語って下さったが、どこも年配の方が故郷の歴史を語る気持ちは同じで、シニアに足を踏み入れた私にはよく分かります。昔話はいくら貴重であっても、普段の会話では若い人には嫌がられるので、この様にブログなどにしっかり刻んでおきたいと思います。
3 北陸本線今庄駅
 明治29年北陸線敦賀・福井間が開通すると、ここは鉄道の町として発展して行きます。駅舎に併設されている「今庄まちなみ情報館」のジオラマを見ると、その繁栄ぶりが垣間見えました。我が国は山岳地帯が多く、鉄道が勾配のきつい場所を越えるのにはスイッチバックなど多くの苦労が伴ったようで、ここ今庄駅では全列車が停車し、山中峠を越えるため後ろにもう1両機関車を連結し、逆に敦賀から到着した列車は最後尾の機関車を切り離したため、給水給炭の設備と共に組み替えの路線も必要で大きな駅になったようです。
 この5分程の停車時間に駅では土産物や弁当、立ち食いそばなどがよく売れ、今庄そばの名を全国に広めたようで、今も駅前にそば屋さんを何軒か見かけました。町並の中には、かつて駅弁を出していた店も残っていて(大黒屋)、ソフトクリームの看板が店前に出ていました。

今庄駅、山間の駅だが多数の線路が並ぶ。駅併設「まちなみ情報館」の鉄道ジオラマ

4 北国街道を帰る
 今庄宿のお年寄りのディープな話に感化されたのか、帰りは北陸道に乗らず北国街道を琵琶湖に向かいました。おそらくここを朝倉攻めの織田の軍勢や賤ヶ岳で破れた柴田軍が通ったであろう事を思う時、不便な山道もまた味わい深いものに見えてきました。

幹線道路をそのまま北陸道に向かわずに、山間の道「北国街道」に入って湖北木之本を目指す。