黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)

45 再びりゅうの思い出

1 近所の方のお話し
 今日は自治会の「歴史探訪ウォーキング」に妻と二人で参加してきました。大河ドラマにちなんで、地元に残る源氏ゆかりの地を巡る8km程の道のりでしたが、梅雨の合間の好天に恵まれ気持ち良く歩いてきました。
 移動中近所の方と話していて、我が家のりゅうの話題になりました。「りゅうちゃんが元気だった頃、孫とよく見に行ってました。ぐずったりしていても、りゅうちゃん見に行こうか!というと、すぐ機嫌を直して会いに行ってましたよ!」と言われ、愛犬が他所様のお役に立っていたことに驚きそして嬉しく感じました。庭の外構を工夫していたので結構自由に動き回れて、前の道路から声をかけられると、フェンス越しにご近所の方とコミュニケーションしていたようです。「りゅうちゃんがいなくなり寂しくなりました!」と言われたので、少し最期の様子を話していました。

娘の描いたりゅうの肖像画と元になった画像

2 介護の始まり
 亡くなる半年前、頬が膨らんで様子がおかしいので、いつもの獣医さんに見てもらうと、すぐに設備の整った動物病院を紹介され、そこで癌と判明して手術を受けました。口元はきれいになりホッとしましたが、残念ながら余命三ヶ月と言われ、介護する生活が始まりました。
 ずっと庭飼いで夜だけ玄関の三和土にいたので、部屋に上げると申し訳なさそうな顔で健気でした。昼間は仕事でいませんので、近くにワイヤレスカメラを置いて娘や息子達も一緒にスマホで見守り、動きの感じられない時はマイクで呼びかけ元気付けていました。

元気だった頃の様子。近所の方や子ども達が道から見ると、犬小屋や玄関前にいた!

3 最後の夜
 4月18日、いつものように「りゅう、お休み!」と言って離れようとすると、遠吠えの様な声で「ワォー」と鳴き、前脚を宙に浮かせて「おいでおいで」の動きをするので、妻と二人で「いよいよ今夜かな」と言いながら可哀想になり、三人!?で一緒に寝ました。
 翌朝、まだしっかりとした反応があったので、安心して出勤しましたが、昼過ぎに娘から「父さん、何だかりゅうが動いてない気がする!」と連絡が入り、飛んで家に帰りました。玄関扉を開けると、穏やかな顔で横になっているりゅうが迎えてくれました。まるで「急いで帰ってきてくれてありがとう」と言っている様な感じでした。
 その晩はお通夜で、りゅうが好きだったおやつやブロッコリーを「棺」に入れてやり、翌日ペット用の霊柩車が迎えに来てくれて見送りました。以来、まだ次のペットを飼う気持ちにはなっていませんが、ただ次も「黒柴を飼おう」と言う気持ちは夫婦共通です。

外飼いだったので、室内に上げると申し訳なさそうな顔で健気だった。