黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)

57 伝建地区-海野宿

1 プロフィール
 海野宿は東御市にある北国街道を代表する宿場町です。関西人には読みにくいですが「とうみし・うんのじゅく」です。初めて町並の写真を見た時、見事に往時の様子が残されていて圧倒されました。それ故、この地の訪問は長い間とても楽しみにしていました。
 江戸時代の記録によると、伝馬屋敷59軒、旅籠屋23軒とあり、大変な賑わいだったようです。明治に入り広い建物を活かして養蚕・蚕種業が営まれました。蚕室造りの建物と旅籠屋造りの建物とがよく調和して、見事な町並を形成しています。

保存地区は、東枡形から西枡形までの約650メートルの旧海野宿のほぼ全体

2 海野宿と木曾義仲
 海野宿の駐車場につくと大きな幟がいくつも並んでいました。よく読むと「いざ、京へ 木曾義仲 白鳥河原の勢揃」とあります。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で青木崇高が演じた話題の武将です。隣接する白鳥神社の案内板を読むと「源義仲は、ここ白鳥神社前に広がる千曲川原「白鳥河原」に拳兵しました(平家物語源平盛衰記「白鳥河原の勢揃」)。地元の海野氏も義仲のもとに馳せ参じ、その数二千騎とも三千騎とも云われています。」とあり驚きました。
 しかも神社の入口の標柱には「海野氏・真田氏 氏神 白鳥神社」とありますので、真田昌幸(幸村の父)が武田信玄に仕えていたことも重ね合わせると、この地が中世日本史の重要な場所であったことが分かります。海野宿を単なる観光名所と捉えていた私は、自分の無知を恥じると共に、古い町並みには単なる時間の経過だけではなく、多くの有力な武将や力のある豪商の関わりがあったことを改めて感じました。

「いざ、京へ 木曾義仲 白鳥河原の勢揃」の幟 「海野氏・真田氏 氏神 白鳥神社」の標柱

3 今も生きる宿場町
 背景はさて置き、海野宿は本当に魅力的な町並みでした。昭和の指定地区と言うこともあって、長い間の人々の営みが町の景観を整え建物を整備し、街路の中を流れる水路と周辺の家々の格子戸が良くマッチして、一幅の絵画・美術品を見ているような場所でした。
 しかもここが素晴らしいのは、ほとんどの家が現役の住宅だという点です。昭和の世代が伝統的建造物の保存を始めた頃は良くても、代が変わるに連れその意志を継いで行くには様々な困難が生じます。「縦に長い屋敷地が幸いし、表の建物はそのままの形で残しても、裏で新しい住居を建てたり、畑をしたり出来るくらい広いんです!」との観光休憩処の方の説明に安堵しました。