黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(重伝建と一宮そして100名城)

90 寂光院と建礼門院

1 大原の里 寂光院を目指す
 残暑厳しいこの時期、涼を求めそしてブラタモリの放送に惹かれ、京都大原寂光院を訪ねました。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の平家の最期にも影響されています。
 大原の里は京都市とは言え非常に山里ですが、そのまま国道367号鯖街道)を北に進むと、かつて足利将軍が滞在した朽木や、伝統的建造物群保存地区の熊川宿を経て小浜に抜けますから、意外と交通の要衝であったとも言えます。

朽木・興聖寺の足利庭園。12代将軍義晴・13代将軍義輝が、朽木氏を頼って数年間滞在した居館に作られた。

2 平家ゆかり建礼門院隠棲の地
 寂光院天台宗の尼寺で、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられています。寂光院が広く知られる様になり三千院と並ぶ観光地になったのは、やはり建礼門院隠棲の地であったことが大きいでしょう。

 建礼門院徳子は、平清盛の娘で高倉天皇中宮、そして安徳天皇の母という栄華を極めた女性ですが、源平の合戦に敗れた後、平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔いながら、寂光院で終生を過ごしました。
 境内には『平家物語』にも登場する、汀の池(左)や千年の姫小松(右)が、ひっそりと佇んでいます。姫小松は、後白河上皇の大原御幸で詠まれている松で、花摘みから帰って来た徳子は、ここで後白河法皇と対面しました。

境内西に建礼門院が過ごした御庵室遺跡がある。およそ5畳半の狭い庵で、訪ねて来た後白河法皇の涙を誘う。

3 しば漬けと大原女
 ブラタモリでも紹介されましたが、建礼門院は村人から赤紫蘇を使った漬物を贈られ、その美味しさに感動し「柴葉漬」と名付け、現在の「しば漬け」となりました。また建礼門院に仕えていた阿波内侍の山仕事の格好を、地元の女性が真似したのが大原女の始まりだそうです。土井志ば漬本舗・大原観光保勝会のHPより)
 ブラタモリの旅のお題は「京都・大原~なぜ大原は“癒やしの里”になった?~」でした。建礼門院徳子が、逆境の中でも村人達と温かい交流を持ち生きていたことを知ると、確かに元気を貰え癒やしになりました。

4 更に涼を求めて
 帰路、久しぶりに比叡山ドライブウェーに寄りました。頂上に着くと5℃程涼しいので、すっかり汗は引きました。初めて来た小学生の時、道端の「エンジンブレーキを使いましょう」の看板が意味不明で、しきりに父に尋ねたことを思い出しました。「エンジンは車を進める物、ブレーキは止める物。エンジンブレーキってどう言うこと」、執拗に父に聞いていました。今は懐かしい記憶です。

京都市大津市も一望できる比叡山ドライブウェー。中央に見えるのが近江大橋びわ大津プリンスホテル