黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)

121 明智光秀の道を往く

1 天正年間の丹波進攻
 これまで歴史研究会の仲間と一緒に、明智光秀ゆかりの山城を訪ねたり、亀山城から本能寺への道を歩いたりして来ましたが、いよいよ丹波進攻のルートを歩いて、波多野氏の城「八上城」を目指すウォーキングツアーを計画しています。
 先日ルートの下見のため、丹波入国後の光秀最初の拠点「丸岡城」から、家臣野々口西蔵坊の「埴生城」まで、約15kmの道のりを歩いて来ました。八上城までちょうど中間地点です。(ルート後半の埴生城~八上城約19kmは後日予定!)

  京都府中世城館跡調査報告書の地図を繋ぎました。下は丸岡城八上城です。

 亀岡市の西部は山城が多く、歴史の足跡を訪ねる妙味はもちろんでしたが、篠山街道沿いに並ぶ伝統的な家屋や造り酒屋の老舗、のどかな自然を満喫できる、魅力満載の4時間でした。

2 篠山街道の伝統的建造物
 歩いて30分程で吉川町ですが、農村地帯とは思えない様な建物が続き、かつての篠山街道が豊かな街道であったことがよく伝わって来ます。製菓工場を営んでいた豪商の「曽我家住宅」、丹波寒天を扱っていた「西田彰吾商店」、そして虫籠窓が目立つ厨子二階の建物「佐藤医院」です。

3 伝統の老舗や京都の奥座敷湯ノ花温泉
 吉川町を抜け薭田野町に入ると、創業300年(元禄年間)の「大石酒造」の白壁が見えて来ます。ここで試飲出来ると盛り上がりますが、先を急ぐので素通りしました。旧佐伯館跡と思われる御霊神社の土塁を横目に、やがて湯ノ花温泉に入ります。旧道が山の裾野に見えたので、そちらを歩きました。

4 光秀公首塚明智の家紋桔梗の寺「谷性寺」
 境内に光秀公首塚があることから光秀寺とも呼ばれ、本尊を厚く信心し、家臣に首をそばに埋めるように託していたと言われます。門前では夏になると、明智家の家紋である桔梗が咲き誇る「ききょうの里」行事が開催されます。

5 国衆の野々口西蔵坊の城
 埴生城城門の残る「最福寺」で地元郷土史家と合流し、本丸を目指しました。比高85mですが15km歩いた後なので、息を切らせながらの登城です。頂上からは八木城(丹波三大山城)はもちろんのこと、遠く愛宕山まで望め疲れが吹っ飛びました。
 なお長らく埴生城の遺構かどうか真偽不明だった山門ですが、「麒麟がくる」の建築考証をされた三浦正幸先生が、昨年園部城に来られた際に実際に見て「江戸期より古い」と確認されたとのことでした。

 

 なお本能寺の変について語った『本城惣右衛門覚書』の「本城惣右衛門」は、埴生城主の野々口西蔵坊の配下で戦った武将です。

6 貸し切り状態の路線バス
 埴生城を下りて近くの古民家レストラン「ル・ジャルダンポップ」https://jardinpop.jp/(仏料理)でランチした後、路線バスで亀岡駅に戻ります。田舎のバスは何十年ぶりだったでしょう、本当に来るのか不安なぐらいでしたが、きちんと定刻にやって来ました(京阪京都交通素晴らしい!)。二人で貸切状態でしたが、亀岡駅南口まで810円、むむむという感じでした(笑)