黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)

120 関東屈指の山城と蔵の町

1 関東地方の凄さ
 戦国時代や天下統一は関西を中心に展開し、関東地方や東北・九州などはあまり関わりがないイメージを持っていました。大勢が決した後、豊臣政権に恭順していく様な感じだったので、関東の山城が、規模が大きい事や造りがしっかりしている事に、とても驚きます(99 北関東の日本100名城)。
 よく考えると、丹波の国衆達も東日本ルーツが多く(承久の変後に新補地頭でやって来た)、関東平野は広大なので当然と言えば当然です。訪れた国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)でも、東日本の高い人口密度と生産力という展示があり(代表例は三内丸山遺跡か?!)、これまでの自分の歴史観を覆されました。

2 金山城国史跡)の魅力
 篠山にある光秀の城は「きんざんじょう」ですが、ここは「かなやまじょう」と呼び、15世紀に新田一族岩松氏が築城しますが、戦国期は由良氏により全盛期を迎え、上杉・武田の攻略にも落城する事なく、難攻不落を誇りました。
 日程にやや余裕がなかったので、スルーしようかと麓を通りかかったのですが、そこから感じる様子でさえ「ただ者」ではなかったので、日程を変更して登城を決意、再建整備された大手虎口の規模と堅固な様子には圧倒されました。
 往時の人々の営みに敬意を表し、本丸の新田義貞神社に参拝し、充実感の内に金山城を後にしました。「上まで登って良かった!」、山城好きの実感です。

3 蔵の街と日光例幣使街道
 ここは旧栃木宿の北に位置し、南北に巴波川が流れと日光例幣使街道に面します。岡田記念館は、この地の領主岡田嘉右衛門の居宅で、畠山家の陣屋にもなっていました。江戸時代に、岡田家は未開の地を開墾して村づくりに貢献したため、この地は嘉右衛門新田と称されるようになり、現在の現嘉右衛門町につながっています。

 ただ、町並としては同じ栃木市内の「蔵の街」が印象に強く、併せて伝統的建造物群保存地区にすれば良いのでは、と感じながら見ていました。

 ところで、全国旅行支援事業の「いちご一会とちぎ旅」クーポン(平日なので2,000円)を使って、蔵街の良く見える巴波川(うずまがわ)畔のレストランに入ろうとしますが、どこも取り扱っていません。多分電子アプリなので、レジが対応していないんだと思いますが、「地元の業者を潤わさない旅行支援って何!」と先輩と二人ブーイングでした。高速のSAは使えたのですが、それってどうなんでしょうね?(苦笑)