黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)

130 九州肥前北部の旅

1 友人夫妻の訪問
 全国の100名城・続100名城めぐりを続けている友人夫婦が、北九州の旅から帰ってきてお土産を届けてくれました。ちょうど1年前に私も訪れた名護屋城の話で盛り上がったので、懐かしく思い出し自分のブログを読み返してみたのですが・・・・。
 あれっ?、記事がありません。確か松浦埋文センターの蒙古軍の遺物とかアップしたはずなのに・・・と思って調べてみると、Facebookに投稿していました。一時期、BlogとInstagramFacebook、三つを併用していたので、頭の中が混乱していたようです。
 と言う事で、伝建地区的山大島の神浦地区から戻って(Blog 127 長崎平戸沖の離島へ)、それ以降の足跡を1年ぶりに投稿することにしました(笑)

唐津城と本丸から望む虹ノ松原・宿泊したホテル佐賀唐津リゾート、鷹島肥前大橋

2 丹波の国衆小林氏と文禄の役
 文禄・慶長の役で、諸大名が集結した名護屋城跡ですが、ここは何気ない場所に有力大名の表示(陣跡)が現れ驚きます。実際、加藤清正の名前を見つけた時はびっくりしました。そして実は、自分の先祖もここに来ていた可能性があるのです。
 私の実家は、八木城内藤氏の与力であった国衆小林氏の城館跡(南丹市日吉町田原)の真下にあり、しかも跡地の竹やぶは我が家の土地なので、家臣であった可能性が高いようです。実際、寛政期の丹波誌には「譜代ノ家来多ク残リ住ス」とありました。その小林家文書にある石田三成発給の文書で、小林氏が文禄の役に参陣していた事が分かるので、おそらく羽柴秀勝丹波亀山)の軍勢として参加していたと思われます。
 もし我が先祖がここに来ていたら、どんな気持ちで20万人と言われる城下の様子や玄界灘を見ていたのか、哀愁の念がこみ上げてきました。そんな事を思いながら、昨夜の豪雨が嘘の様な青空の下、本丸をゆっくり歩いて来ました。

加藤清正の陣跡と本丸石垣、青空に聳える天守台址碑、遠くに望む徳川家康の陣跡

3 海中に眠る元寇の記録
 そしてこの地まで来ると、ブラタモリの訪問地の中で、酒田・一乗谷の回と並んで強く印象に残る元寇の遺物を見ない訳には行きません。名護屋城跡から30km足らず、松浦市埋蔵文化財センターを訪れました。ちょうど地元鷹島中学の生徒が見学に来ていて、どの子も京都ナンバーに驚いたのか、しっかり挨拶してくれました。
 センター内に展示されている「海中から引き揚げられた蒙古軍の遺物」を見学した後、元(げん)の船が今も沈む(一度引き揚げ腐食を防ぐため戻している)、我が国唯一の水中史跡「神崎遺跡」を見に海岸に下り、戦国時代だけではないこの地に残る大陸との歴史に、思いを馳せていました。

松浦市立埋蔵文化センターと保存作業中の蒙古軍の遺物、左手山裏側が神崎遺跡