黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)

21 山城との出会い-月山富田城

1 大学で学ぶ
 退職後のプランの一つに、もう一度大学で学びたいというのがありました。学生時代の専門とは異なる内容の学問(社会学)には、もう一つ別の人生を歩む様な魅力を感じていたからです。ところがリタイヤ後の仕事としてやり甲斐のある部署を打診されたため、そちらを選択しました。ただ学びの魅力は捨てきれず、親しくなった教授のゼミで聴講させて頂くことに。ここで歴史や自然を生かした町づくりについて考える中で、島根県邑南町を知ることになります。

(左)邑南町於保知盆地の鉄穴残丘 (中)里山イタリアンAJIKURA (右)宇都井駅(旧三江線高さ日本一) 

2 出雲への旅行
 そして翌2020年、学生時代に親しくしていた出雲の後輩が定年になり、久しぶりの再会と邑南町のフィールドワークを兼ねて訪ねることにしました。行きたい場所のリクエストを聞かれ次の様に連絡しました。
・邑南町のフィールドワークとヒアリング
・町づくりのシンボルで人気の「里山イタリアンAJIKURA」
重要伝統的建造物群保存地区石見銀山大森地区」「大田市温泉津」
・日本遺産出雲國たたら風土記「菅谷たたら山内」「田部家土蔵群と吉田の街並み」
日本100名城月山富田城
石見国一宮「物部神社出雲国一宮「熊野大社
・旧三江線「天空の駅」宇都井駅(高さ日本一の駅)
二泊二日(夜行バス)にしては盛り沢山ですが、遠路出かけるとどうしてもそうなりがちです。東北の旅でもそうでしたが、訪問場所の取捨選択は今後も続く課題です。

(左)吉田のまち並み (中)田部家土蔵群 (右)菅谷山内高殿(重文)『もののけ姫』たたら場モデル

(左)石見銀山大森の町並み  (中)石見国一宮・物部神社本殿  (右)出雲国一宮・熊野大社拝殿

3 山城との出会い
 「天守のない城は城と言えるのか」「日本100名城に値しているのか」など疑問に思いながらも「月山富田城」という名前に惹かれ、半信半疑で訪れました。足立美術館を過ぎると明らかに形の違う山を遠くに見つけ、運転する後輩は「どれですか?」という感じでしたが、私は何とも言いようのない姿に目が釘付けになり、期待が高まりました。
 月山富田城は新鮮な驚きでした。山城の威容に圧倒される一方で(雑誌『歴史人』で全国の山城最高評価)、何故か不思議に「身近さ」を感じたからでした。立派な建造物がない分、逆に普段の生活を感じ、「この道を歩いたのか」とか「ここで敵を防いだのか」など、尼子晴久山中鹿之助が近しい存在に感じたのでした。「天守の無い城なんてつまらない」と言う私の固定観念は完全に覆されました。しかも多くの山城は近世の城と違って、実際の合戦の場だったので余計にインパクトを感じました。
 以後、山城ファンです。大河ドラマ麒麟がくる』の影響で、明智光秀に関係のある丹波の山城を中心に、これまで40城を訪れました。もちろん日本五大山城の月山富田城(尼子氏)・小谷城(浅井氏)・観音寺城(六角氏)・七尾城(畠山氏)・春日山城(上杉氏)はすべて登りました。

(左)足立美術館の向こうに山城   (中)月山富田城七曲り   (右)広大な石垣と山中御殿平

(左)三ノ丸の堅牢な石垣    (中)山中御殿平北の虎口菅谷口    (右)山中御殿平の大堀切

 月山富田城本丸。天文9年(1540年)尼子晴久は大軍を率いて安芸の毛利元就の居城吉田郡山城を攻めた!


  月山富田城本丸から城下の広瀬の町を望む。中央の広い場所は安来市立広瀬小学校の運動場。