黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)

100 北関東の伝建地区

 二人での関東ツアー、一日目の最終訪問先を群馬県中之条町の六合赤岩にしていました。もう長野県が近い場所ですが、私のこれまでの感覚では、十分回れるだろうと予定していたのですが、やはり東京は交通事情が違っていました。
https://goo.gl/maps/LVSZXeCRxQScjE3g6

1 首都圏の道路事情
 朝早く東京を出るので、お昼頃には貫前神社に参拝できるかなと考えていたのですが、これはとんでもなく見通しが甘かったことが判明。先輩からも土曜日の高速はすごく混むよ!と言われていた通り、川越の町でようやくお昼という状況でした。
 この後も在来道を抜けたり、町中の道を迂回したりして高速の渋滞を回避し、ようやく順調に走り始めました。週末が故、それも三連休の初日、各地へ向かう車が多いのは当たり前と言えば当たり前でしたが、私の想定を超えていました。そんな訳で富岡市貫前神社に着いたのは、夕方に近い時間帯という状況でした。

2 上野国一宮貫前(ぬきさき)神社
 ここは全国的に珍しい構造の神社で、参道を下った低い境内に社殿があり、不思議な光景です。徳川家光や綱吉による再建や修理を経て今日に至る上野(こうずけ)国の一宮で、本殿・拝殿・楼門のすべてが国の重要文化財なので、なかなか凄い神社でした。
 丁度連休でイベントが計画されていて、本殿前では音楽グループが夕方からのコンサートに備えて準備中で、一宮とは言うものの地域に開かれた親しみやすい雰囲気でした。楼門前の参道でもマツダ車のオフ会が開催されていて、愛車がCX-5の私はワクワクしながら傍を通りしました。
 結局、夕暮れが迫るころ箕輪城に辿り着いたので、登城後は予約していた渋川のルートインに向かい、中之条町の六合赤岩は翌日に回しました。

3 伝建地区「六合赤岩」
 翌日は台風の影響か小雨です。途中の山中から、道路が良く整備され道の駅や温泉施設など立派な建物が増え、二人で「何だろうね!」と言いながら走っていると八ッ場ダムでした。やはり総事業費がダム史上最高額で5千億円を越える計画だっただけあって、凄い整備状況でした。(画像出典:ウィキメディア・コモンズ)

 しばらく走ると中之条町六合赤岩です。川の対岸から集落の全景が見える「展望駐車場」があったので写真を撮り、その後国道から橋を渡って村に入ると「赤岩ふれあいの家」の水車が出迎えてくれました。「展望駐車場」と言い「ふれあいの家」と言い、とにかくビジターフレンドリーな町です。

 伝建地区の山村集落はそんなに多くありませんが、ここは養蚕家屋の伝統を受け継ぐ建物がよく残り、特に正面の端を外壁より前に出した「デバリ(出梁)」がよく見られました。村を一巡して「ふれあいの家」でこの地の話を聞き、地域を守る人々の苦労もよく分かり、遠路訪れた甲斐のある伝建地区でしたが、惜しむらくはあいにくの雨だったこと。晴れていれば美しい日本の原風景を、更に味わえたことだったでしょう!

 上段左が湯本家住宅。木曾義仲の末裔で、逃亡の際に隠れ住んだといわれる「長英の間」を残している。

 

 

99 北関東の日本100名城

1 広大な城域の鉢形城
 東京在住の先輩との二人旅、初日に訪れたのが埼玉県寄居町に残る鉢形城です。鉢形城は、元々は関東管領上杉氏の家臣が築いた城で、その後勢力を伸ばす北条氏の三男氏邦がこの地の豪族に養子に入り、関東有数の規模を誇る城になったようです。秀吉の小田原攻めの際は、前田利家上杉景勝らの北国軍に包囲され、一ヶ月余りの籠城後に開城、家康配下の代官が治めました。
 関西に住む我々には、この城は全く馴染みがありませんが、戦前(昭和7年)に国の史跡に指定されているので立派な城です。秩父山地関東平野に突き出す先端の荒川沿いに位置し、上州や信州・甲州への要衝であったのでしょう。丘の上にいくつもの廓からなる関東を代表する城郭だけあって、その広大な光景に圧倒されました。

2 関東屈指の箕輪城
 次に訪れた箕輪城は、もう少しコンパクトな城かと予想して現地に着きましたが、榛名山の麓に広大な城域を有する関東屈指の規模で圧倒されました。この地の豪族長野氏の築城で、上杉氏・武田氏・北条氏の勢力争いの中よく奮戦し、中でも信玄の攻撃を何度も防いだことで有名な城郭です。戦国時代が終わり、家康が12万石で井伊直政をこの地に封じ、後に城が高崎に移されて歴史的な役割を終えました。
 鉢形城と同様、駐車場や本丸へのアクセス路、城内の表示などよく整備されていて、さすがは日本100名城です。中でも大堀切の規模に驚き、武田勢が跳ね返された理由が分かる様な気がしました。

 

 

98 武蔵一宮と蔵の町川越

1 奈良の先輩を載せ氷川神社
 関東地方の旅は二人旅でした。本ブログの最初の方「02 奈良大宇陀 又兵衛桜」で登場している大学時代の先輩で、関西出身同士のためか意気投合することが多く、サークル内で一番親しくしていました。就職と同時に上京され、誰もが知っている食品会社の元重役さんです。現役時代の経験を生かして、退職後は故郷でカフェを経営されていて、テレビの取材も受けておられる人気店ですので、また別の機会に紹介します。
 現在も東京在住ですので、早朝ホテルを後にしてCX-5でマンションへ迎えに行きました。旅の無事を祈るため、そして六十半ばで共に旅行できる事に感謝するため、武蔵一宮氷川神社を目指します。コロナ明けの週末三連休、境内は人で溢れていました。

2 埼玉県を代表する観光都市川越へ
 川越は、室町時代太田道灌親子が基礎を築き、江戸時代に城下町として整えられ、水運を利用して商業都市として栄えた町です。
 旅行者に人気の高い蔵造りの町並通り、その中でも「時の鐘」の近くで一際目を惹くのが「陶舗やまわ(明治26年の建築)」、現存する国内最大級の入母屋形式土蔵造りです。平成21年のNHK連続テレビ小説「つばさ」では、ヒロインつばさ(多部未華子)の生家「甘玉堂」として使われました。
 蔵の並ぶ通りは無電柱化された素晴らしい景観ですが、車が溢れてゆっくり歩くことが叶わず、せっかくの風情が残念な感じでした。仲町観光案内所の方に聞くと、この地の幹線道路でもあるため、歩行者天国などは難しいそうです。他にも街の特徴など詳しくお話しいただき、とても親しみやすいみなさんで良い時間が過ごせました。やはり案内所は伝建地区の「顔」でした。




97 富士山が見えた!

1 雪のない富士山
 引き続き旅先(東京)からの投稿です。
 昨日は天気が良くなかったこと、そして台風も近付いて来ること、それらが重なって「今回は富士山は無理!」と思い込んでいたので、頭からすっかり飛んでいました。ところが沼津の町を出るとあまりにも天気が良いので、「ひょっとして富士山見えていたりして」と遠くを見渡すと、何と見事にその雄姿が見えていました。そのスケール感の山が関西にはないので、いつもの山を探す目線では捉え切れなかったのですが、何度見ても神々しい姿ですね。思わず道端に車を止めて撮影、冠雪していない富士山は新鮮でした。

2 三島スカイウォーク
 障子掘で有名な山中城に向かっていると、「吊り橋日本一」の看板が目に入ってきました。「そう言えば以前テレビが取り上げてたなあ」と思い出し、昨日三島大社に滑り込めた分時間に余裕があったので寄り道をすることに・・・・。平日にもかかわらず凄い人出で期待感が高まります。
 圧巻の光景でした。富士山をバックに白い吊り橋が雄大です。遠く駿河湾まで望め、気持ちの良い朝の散歩になりました。

3 日本100名城三つ
 山中城は、城巡りを続けている友人夫妻に「障子掘が素晴らしい!」と聞いていたので楽しみに訪れましたが、予想以上に魅力的な山城でした。良く整備されているので、庭園の中を歩いているようです。次に訪れた小田原城八王子城と合わせ、北条方の城郭が豊臣勢の大勢力に立ち向かった歴史を思う時、戦国時代終末の悲哀を感じました。

 八王子城は、素通りしようかと悩んでいた城でした。そもそも関西人にとって関東の戦国時代はよく知らないので、単に勉強不足が故のことなのですが・・・・。ところが驚きでした。谷間に発掘されたり復元されたりした城跡は、スケール感はやや劣りますが越前一乗谷を彷彿とさせる見事な遺構でした。途中から学芸員らしき方と親しくなり、いろいろ説明を聞きながら、そしてたっぷり質問させてもらいながらの、贅沢の城郭訪問でした。

 

 

96 涼しい東海地方

1 焼津市花沢の山村集落
 引き続き旅先から投稿です。朝は肌寒いほどの気温でしたから、関西に比べて過ごしやすいなと思っていたら、夜ホテルで天気予報を見ていると、全国的に同様だったらしく季節の進行を感じました。東海地方の伝建地区・一宮を、いつものように足早に一気にめぐってきました。と言っても伝建地区は一か所、焼津の花沢地区です。
 ここは地図で見ると東名高速日本坂PAのすぐ近くだけあって、旧日本坂峠の街道沿いに栄えた集落でした(立派な家が多かった!)。傾斜地に見事な石垣が築かれ、屋敷が階段状に続く家並みが印象的でした。高速から近く駐車場もビジターセンターも分かりやすく、大変訪れやすい山村集落です。ただ訪問者はハイカーがほとんどで、他の伝建築と異なる雰囲気もまた良い感じでした。

2 東海地方の一宮
 一気に五社にお参りしました。三河砥鹿神社、遠江小国神社・事任八幡宮駿河富士山本宮浅間神社、伊豆美島大社です。どこも立派なお社でしたが、特に小国神社が印象に残ります。残念ながら改修中で覆われていたので、修復が終わった頃に再訪したいと思わせる見事な佇まいでした。
 美島大社では大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で源頼朝大泉洋)と北条政子小池栄子)が一緒に訪れたシーンを回想しながら、重厚な本殿に参拝です。タイトなスケジュールだったので、電話で御朱印の戴けるタイムリミットを午後4時半と確認していたので、駐車場に着くと一目散に社務所を目指し、何とか5分前に滑り込めました(笑)

3 愛知県のコメダ珈琲
 朝、豊川市コメダ珈琲でしたが少し書きたいことが・・・・。愛知県は本場なのでどんな感じかなと興味津々で入店したのですが、お客さんが少なく驚きました。関西ではコメダ珈琲はどこも満員で、隣を気にしながらのお茶ですが、この日は久しぶりにゆったりとモーニングを楽しめました。
 疲れているのでホテルにチェックイン後町に出たくないので、イトーヨーカドーで夕食(と翌日の朝食)の買い物をしました。ここでも関西で見かけない惣菜はないかなと探していたところ、何と「松花堂弁当」を見つけました。プチ高級感に浸れそうで思わず手が出ましたが、普通のお弁当でした!

 

95 伝建地区の旅再開

  スマホからの投稿です❗️暑い夏🥵が終わり、いよいよ伝建地区全制覇を目指して、再び旅立ちました。今朝は東名高速道路のSAで目醒めています。ホテル代と高速料金(深夜割引)合わせると随分節約になるので、多少の寝苦しさは我慢、秋になり何とかエアコン無しで眠れました(ただし携帯扇風機ON!)。

  既に伝建地区126ヶ所中104ヶ所が訪問済で、今回は残る大口の関東地方を全て周ります。合わせて東海関東の一宮御朱印を頂き、日本100名城も🏯可能な限り……約一週間の旅、頑張ります🚙

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94 ラコリーナと伝建地区

1 滋賀県No.1の観光スポット
 滋賀県の年間観光客数は、ずっと「ラ コリーナ近江八幡」(近江八幡市)がトップで、県内唯一の300万越えを誇る観光スポットです。関西で周囲に「ラ コリーナ行ったことある?」と聞くと「ある」という答えが予想以上に多く、若い女性に限るとほとんどではないかという印象です。シニア男性からすると、まず思い浮かぶのは彦根城ですが、こちらは何とかベスト10に入っています。

現存12天守彦根城と往年のゆるキャラNo.1ひこにゃん、城下町の面影を生かす夢京橋キャッスル口一ド

2 藤森照信の代表建築
 ラ コリーナ訪れたきっかけは、職場の研修旅行でした。その時は幹事が女性で、中高年男性には関係ないや!という感じで、みんなやり過ごしていたのですが、着いた瞬間に圧倒されました。まず訪れている人の数の多さ、「みんな何を求めてこんな所(失礼!)に来ているの?」という感じでしたが、建物を見て納得でした。
 周りの自然と一体となった個性的な建築(後で藤森照信の設計だと知ります)、まるでトトロの世界に入ったかのような印象でした。女性陣がそろってバウムクーヘンの製造直売所に向かうので、多分これが有名なんだなと思い一緒に並ぶと、若い子達が「奥さんに絶対喜ばれますよ!」と口を揃えて言うので、正解の行動だったのでしょう(笑)

コリーナのメインショップ(正面と裏側)とオフィスの遠景。下は芝生の枯れる冬の姿(こちらも素敵)。

3 近江商人の哲学
 帰ってから「誰のどんなコンセプトであの魅力的な空間が作られたのか」気になり調べると、仕掛け人は近江八幡市たねやの社長でした。家業を、社会に必要とされる企業に育てたいという夢を、本業の和菓子にプラスαの付加価値を付け、人々の集う場を作ってふるさとの発展にも寄与する、まさに近江商人の精神「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」が体現された場でした。山本昌仁著『近江商人の哲学-「たねや」に学ぶ商いの基本』講談社現代新書、2018年 参考)

4 重要伝統的建造物群保存地区
 その後広島の友人を案内した際には、ラ コリーナツアーにも参加しました。「背後の八幡山から連なる丘に、木を植え小川を作り、緑深い森作りを進める、人と自然の共生がテーマ!」、SDGsの時代に相応しい観光スポットです。
 なおお出かけの際は、近くの伝統的建造物群保存地区八幡地区にもお寄り下さい。近江商人の旧宅など質の高い町家がよく保存されていて、八幡堀周辺の石垣や土蔵群が織りなす景観と併せ素敵な町並になっています。(画像は伝建協HPより)

 

93 志摩一宮を訪ねる

1 リアス式海岸志摩半島
 県民割を使って伊勢志摩に旅行してきました。割引があるといつもより少し良い宿が選べます。と言うことで選んだ賢島宝松苑でしたが、着いてみると親子連れの若い家族も多く、今のヤングファミリーは結構リッチだなと感心しました。
 志摩半島は、大部分が伊勢志摩国立公園で、島・岬・入り江の多いリアス式海岸として有名です。その雄大な景色を眺めようと、横山展望台に登りました。車を降り遊歩道を進むと、圧倒的な絶景が広がっていて感動でした。

2 皇大神宮別宮 伊雑宮
 私の旅の目的である伝建地区と一宮ですが、近畿地方で唯一残っていたのが志摩国でした。ここは全国にいくつかある一宮複数地域で、伊勢神宮の別宮である「伊雑宮」(いざわのみや)と安楽島(あらしま)にある「伊射波神社」(いざわじんじゃ)が一宮です。
 「伊雑宮」(いざわのみや)は、伊勢内宮の別宮として格式が高く、厳かな感じがしました。本殿にお参りすると、隣に同じ広さの場所があったので聞くと、やはり式年遷宮のための敷地で、20年に一度、内宮に一年遅れて執り行われるとのことでした。

3 伊射波神社
 伊射波神社(いざわじんじゃ)は、すべての一宮で辿り着くのが一番大変と言われている場所です。隠岐対馬に比べれば陸続きなのでそんな事は無いだろうと思いつつ、心してお参りしました。大変だと言われている理由は5つです。
 ①規模が小さいので分かりにくいこと
 ②半島の中にあるので、海辺と山中の両方を越えて向かうこと
 ③駐車場が分かりにくい上、そこから先はミニ登山並みの山道が待っていること
 ④宮司さんの家が麓から離れた集落内にあり、御朱印をもらうのが大変なこと
 ⑤公共交通機関ではアクセスがし辛いこと
 それでもGoogleマップには63件のクチコミがあり、評価ポイントも4.4でしたので、参拝した人達は苦労しながら満足したことが分かります。期待を持ちながら鬱蒼とした道や石段を進みましたが、やはり大変でした。二人で来て良かったなと感じました(笑)

4 伊勢内宮とおかげ横丁
 帰路、内宮にお参りしました。こちらは凄い人出で、駐車場に入るまでにかなり時間が掛かりました。以前初詣に来た時のことを思い出します。みんなコロナ下のお出かけ自粛モードから、解き放たれたのでしょうか。
 お参りの後は前回も立ち寄った「五十鈴川カフェ(HP画像)で、お茶とケーキにしました。夏の終わりに良い旅が出来ました。


 

92 山城国一宮へ

1 涼をもたらす神社の森
 京都市まで出向いたついでに、世界遺産上賀茂神社下鴨神社にお参りして来ました。猛暑の中ですが神社は樹木が鬱蒼としているので、中心部よりはいくらか涼しい感じです。二社とも平安京遷都後に造営されたものと思っていましたが、それ以前からこの地で崇敬を集めていたようです。
 正式な社名は、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)・賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)で、京都三大祭りの葵祭は両社の例祭です。庶民の祭りである祇園祭に対して葵祭は貴族の祭で、日本の祭の中で数少ない王朝風俗の伝統が残されています。

上賀茂神社一の鳥居から二の鳥居を望む。下の中門・楼門は共に国重要文化財、国宝の本殿・権殿は撮影禁止

2 カップルや親子連れ
 暑い夏の昼下がりでしたが、多くの人が参拝に来ていました。最近はどこの神社に行っても感じることですが、カップルや家族連れなど若い人達が多く、ここも例外ではありませんでした。鳥居で礼をする参拝者も増え、時代は随分変わったなと感じます。
 親子連れにもたくさん出会いました。小さな子達が参拝後に「ありがとうございました!」と言っているのが可愛くて、思わず「ぼく良い子やなぁ!」と呟いていました。

森の中に立派な姿を現す下鴨神社の楼門(国重要文化財)、下の画像は西本殿と糺の森の参道を歩く人々

賀茂別雷神社上賀茂神社)・賀茂御祖神社下鴨神社)の御朱印。以前にお参りした際にいただいてました!

p.s. 京都三大祭りの祇園祭時代祭には来ていますが、残念ながら葵祭はないので、来年こそはと心に秘めています!(画像は京都観光ナビ・web版月刊「茶の間」より)

 

 

91 祇園新橋の持つ風情

 1 古都の風情漂う新橋
 伝建地区の中には若い頃(フィルムカメラの時代)に訪れ、画像が残っていない地区がたくさんあり、ここ祇園新橋も改めて撮影に来たいと以前より考えていた場所です。
 さすがに京都を代表する茶屋町として、大変洗練された景観をみせていました。

2 古都で食するラーメン
 巽橋を渡った所の路地にある「麺処むらじ」で、ランチを取ることにしました。この辺りは時代劇のロケ地として有名で、最も京都らしい風情が残るので、着物姿の女性観光客もたくさん見かけました。
 店の外観は京都っぽい感じで素敵でした。暖簾をくぐり町家らしい階段を2階へ上がると、割烹のような高級な雰囲気でもあり、かつカフェのようなシンプルな雰囲気でもあり、落ち着いた印象です。注文したのは鶏白ラーメン、あっさりしているけどコクもある美味しいものでした。素揚げした牛蒡がのっていて、味も見た目もいい感じでした。


3 電柱の地中化を
 さすが京都という町並でしたが、何と電柱の地中化がまだでした。町並の和の雰囲気を画角に納めようとするのですが、縦棒や横線が邪魔をし、どことなく落ち着かない画像になってしまいます。ちむどんどん的に言うと「まさかやぁー!」で驚きました。無電柱で祇園の花街らしい雰囲気がより引き立つようになった頃、再び訪れたいと思いながらシャッターを押しました。

 

 

90 寂光院と建礼門院

1 大原の里 寂光院を目指す
 残暑厳しいこの時期、涼を求めそしてブラタモリの放送に惹かれ、京都大原寂光院を訪ねました。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の平家の最期にも影響されています。
 大原の里は京都市とは言え非常に山里ですが、そのまま国道367号鯖街道)を北に進むと、かつて足利将軍が滞在した朽木や、伝統的建造物群保存地区の熊川宿を経て小浜に抜けますから、意外と交通の要衝であったとも言えます。

朽木・興聖寺の足利庭園。12代将軍義晴・13代将軍義輝が、朽木氏を頼って数年間滞在した居館に作られた。

2 平家ゆかり建礼門院隠棲の地
 寂光院天台宗の尼寺で、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられています。寂光院が広く知られる様になり三千院と並ぶ観光地になったのは、やはり建礼門院隠棲の地であったことが大きいでしょう。

 建礼門院徳子は、平清盛の娘で高倉天皇中宮、そして安徳天皇の母という栄華を極めた女性ですが、源平の合戦に敗れた後、平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔いながら、寂光院で終生を過ごしました。
 境内には『平家物語』にも登場する、汀の池(左)や千年の姫小松(右)が、ひっそりと佇んでいます。姫小松は、後白河上皇の大原御幸で詠まれている松で、花摘みから帰って来た徳子は、ここで後白河法皇と対面しました。

境内西に建礼門院が過ごした御庵室遺跡がある。およそ5畳半の狭い庵で、訪ねて来た後白河法皇の涙を誘う。

3 しば漬けと大原女
 ブラタモリでも紹介されましたが、建礼門院は村人から赤紫蘇を使った漬物を贈られ、その美味しさに感動し「柴葉漬」と名付け、現在の「しば漬け」となりました。また建礼門院に仕えていた阿波内侍の山仕事の格好を、地元の女性が真似したのが大原女の始まりだそうです。土井志ば漬本舗・大原観光保勝会のHPより)
 ブラタモリの旅のお題は「京都・大原~なぜ大原は“癒やしの里”になった?~」でした。建礼門院徳子が、逆境の中でも村人達と温かい交流を持ち生きていたことを知ると、確かに元気を貰え癒やしになりました。

4 更に涼を求めて
 帰路、久しぶりに比叡山ドライブウェーに寄りました。頂上に着くと5℃程涼しいので、すっかり汗は引きました。初めて来た小学生の時、道端の「エンジンブレーキを使いましょう」の看板が意味不明で、しきりに父に尋ねたことを思い出しました。「エンジンは車を進める物、ブレーキは止める物。エンジンブレーキってどう言うこと」、執拗に父に聞いていました。今は懐かしい記憶です。

京都市大津市も一望できる比叡山ドライブウェー。中央に見えるのが近江大橋びわ大津プリンスホテル

 

89 私の畑作りその後

1 初めてマルチを張る
 二畝を借りて始めた今年の畑作り、自宅から少し遠いので(車で45分)、頻繁に見に行くことは出来ません。サツマイモなら、根が付けば放っておいても大丈夫だろう、という横着農業でした。実際水遣りに行ったのは最初の一週間だけ、それでも元気に夏を迎えました。
 予想と違ったのは雑草問題です。プランター野菜の経験しか無かった私ですが、今年初めてマルチで覆いました。これで秋の収穫まで草は生えないのかな、と気楽なことを考えていましたが、お盆に見に行くと凄いことになっていました。

2 劇的ビフォーアフター
 ここから一念発起、すべての雑草を取り除く日を作り、猛暑日の中、長袖長ズボン作業用ゴム手で汗だくになりながら頑張り、何とか畑らしくなりました。こうして2枚の画像を並べてみると、何とも充実感でいっぱいです。秋の収穫が楽しみです。

 

 

88 京都の伝建地区「産寧坂」

1 修学旅行と伝建地区
 重要伝統的建造物群保存地区の指定は昭和51年の7地区(角館・妻籠・白川村・産寧坂祇園新橋・萩堀内・萩平安古)からスタートしました。その産寧坂を含む京都市東山エリアについては、様々な思い出があります。
 大学に入るまで、清水の舞台を知りませんでした。東山界隈に観光に来たことがないので当然と言えば当然です。ところが同級生の多くは、中高どちらかの修学旅行で京都に来ています。ガイドさんに案内されて清水周辺を回り、友達と一緒に買い物をしたはずですから、強く思い出に残っているでしょうが、我々関西の修学旅行は東京や九州です。そうすると身近にありながら意外と京都の観光地を知りません。「清水の舞台って何?」と質問して笑われました。

東山エリアどこからもよく見える八坂の塔、遠くに京都タワー。若者でにぎわう産寧坂

産寧坂から北に歩くと二年坂に入る。伝統的な景観を生かし土産物店や飲食店が並ぶ。

2 友人と出かけた産寧坂
 同じサークルに関西出身の友人がいました。清水寺に行ったことがないという点で、二人は共通していたので、これはまずい!と言うことになって相談し、帰省した時に一緒に東山エリアを散策しました。清水の舞台はもちろん産寧坂付近の景観や風情をじっくり味わい、自分の中に欠けていたピースがカチッと収まった感じでホッとしました。
 円山公園の中にあった長楽館というお洒落な建物でお茶にしました。明治の実業家の建てた迎賓館で、伊藤博文揮毫の扁額が飾られている有名な建物です。この時は食事の様な珈琲の価格に驚き二人で目が点になりましたが、最近家内と訪れた時は「この場所なら仕方ないよね!」と共通の感想で、昭和の記憶は遠くなりにけりでした。

二年坂を北に抜けるとねねの道そして高台寺円山公園に入ると長楽館が眼に入る。

3 東山エリアの後日譚
 時は経って平成25年、娘夫婦が八坂神社で結婚式を挙げました。本殿手前の舞殿での挙式は、周りを参拝者や観光客に囲まれ気恥ずかしいものの晴れやかで、インバウンドの人達が「キモノ!」と言いながら、笑顔でシャッターを押していました。およそ40年の時を経て同じ東山エリアで、貧乏学生だった私は花嫁の父になっていました(笑)

 

 

87 大都市の伝建地区

1 名古屋市有松地区
 伝統的建造物群保存地区は、昭和に選定されている地域の場合、既に観光地として著名な地区であった場合が多いのですが(角館や妻籠、白川村など)、その後平成に入り、高度成長が終焉して人口減少が進む中、町おこし・町づくりの起爆剤としての期待を担う様になって来ました。
 そのため地方都市(町や村)が増え、次第に大都市とは無縁の存在になっていきます。そんな中、平成28年に指定された名古屋市有松地区は、非常に珍しい事例です。

     有松絞り老舗・井桁屋       今も有松絞りを販売する中濱家

2 東海道を代表する土産物
 絞り染めは、東海道を往来する旅人の土産物としてが考案され、その「有松絞り」とともに町が発展しました。その繁栄ぶりは、広重の浮世絵に描かれたほどです。
 町並の中心「有松・鳴海絞会館」には駐車場が併設されていて、大変訪ねやすい伝建地区でもありました。絞会館では、絞りについて学んだり体験したり出来るだけでなく、即売もされているので製品を一堂に見ることもでき助かりました。

広重『東海道五拾三次 鳴海・〔名物有松絞〕』 (国立国会図書館デジタルコレクション)

  東海道に沿った古い町並と絞会館    有松絞り井桁屋の手ぬぐい(井桁屋HPより)

3 広い間口の建物
 絞会館に車を停め、ゆるやかに曲がった東海道に沿って歩くと、広い間口を持つ歴史的な建物や塀が数多く見られます。他の商家町に比べ建物が大きいのは、さすが東海道沿いの町と言う感じですが、職人の町で建物が工場機能も持っていたからでしょうか。

    蔵と並んで建つ服部家住宅       間口の広い棚橋家住宅

 

 

86 夏の身近な自然

1 夏のセミの声
 庭の木が朝からセミの声でうるさいので見に行くと、クマゼミでした。子どもの頃は近所で見かけることはなく、大人になって九州で見たのが最初の経験です。家族で長崎に旅行した際、人の背丈ほどの樹木でやたら大きな声で鳴いているので、びっくりした思い出があります。子ども達は「セミがいた!」と見つけて喜んでいました。
 やはり温暖化の影響でしょうか。最近は関東の辺りでも見かけるようです。そう言えば現在の東京は江戸時代の土佐くらいの気候だそうです。ともあれ、高い所で鳴くアブラゼミと違って低木にいるのでうまく撮影できました。

2 夏の庭木の剪定
 夏は庭の木の剪定が大変で、特にプリペットは凄いスピードで伸びます。自然な感じの生垣にしたいので揃えて伐採しないため(バリカンは使わない)、一本一本鋏を入れる手入れになっていて苦労します(画像手前は作業済After、奥はこれからBefore)
 とにかく生育旺盛な植物なので樹形が乱れやすく、木の健康面にも悪影響が出やすいので気にはなるのですが、頻繁な手入れが面倒くさく、時々根っこから切ってしまいたくなります(笑)

3 夏のフルーツの収穫
 実家にブルーベリーの木が何本か植わっていて、夏になると大量に実がなります。特に何も世話はしていないので甘みは今一ですが、それでもその場で取って食せるのは魅力で、お盆に墓参りに帰った際、上の孫(6歳女児)を先頭に、息子の嫁も私の家内も、凄く盛り上がっていました。どうも男以上に経済観念の発達している女性陣は、ただ(無料)の食べ物という物にアドレナリンが出るのでしょうか?