黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)

123 石見銀山・出雲大社への旅

 5月から突如仕事が忙しくなり、ブログもFacebookInstagramも、パタッと投稿が出来なくなりました。表現すると言うことは、改めてエネルギーのいることだったのを痛感します。と言うことで久しぶりの更新です。
 少し時間が経ちましたがGWに石見銀山出雲大社を夫婦で旅行してきました。世界遺産石見銀山は、最盛期には世界の銀の約3分の1を産出したと言われ、繁栄を支えた麓の町「大森」や積み出し港の「温泉津」は歴史の痕跡がよく見える地域です(どちらも重要伝統的建造物群保存地区)。特に温泉津は本州で唯一未訪問の伝建地区で、大森は写真が残せていなかったので、良い旅行になりました。

往時の繁栄が偲ばれる大森の町並・銀山への坂道を電動自転車(レンタル)で移動

熊谷家住宅(重文)・石見銀山(龍源寺間歩)・直木賞「しろがねの葉」佐毘賣山神社

石見銀山の外港として栄えた港町・温泉津の町並と元湯薬師湯旧館・内藤家庄屋屋敷

ところで今回も高速の深夜料金を利用し、行楽地に一番に着けるメリットを生かすため、広島福山SA(山陽道)で車中泊しました。ところがいつもなら深夜になると空いてくる広大な駐車エリアですが、コロナ解禁後初のGWと言うことで凄い混み具合い! 朝5時に目が覚めた時点でも、周りは車が一杯で「みんな旅の機会を待ってたんだ!」と痛感しました。

出発前の出雲のホテルも予約が大変でしたが、翌朝出雲大社は8時の時点で駐車場が長蛇の列、うーん日本に活気が戻って来ました!

追伸、周辺観光も少し。120年の時を経て佇む石造日本一の高さ「日御碕灯台」(国重文)、中国地方最高峰「大山」の勇姿。



 

122 他に類を見ない空間「江之浦測候所」

 以前から訪問を念願していた小田原市の「江之浦測候所」、先月の関東訪問の帰りに遂に立ち寄れました。
 ここは現代美術作家・杉本博司によるアート作品の地で、壮大なランドスケープが文化芸術の発信地となっています。場所そのものがアートというのは少し理解しにくいのですが、以前BS日テレ『ぶらぶら美術・博物館』(山田五郎おぎやはぎの番組)で見てびっくりし、事前予約が必要なこともあって伺える機会を探っていました。
 広大なスペースの中、長さ100メートルに及ぶギャラリー棟(杉本博司のアート作品展示)や、夏至冬至の日の出遙拝通路、奈良春日大社から勧進した朱塗りの春日社など、強いメッセージとインパクトが放たれていて圧倒されました。

①外から見た「夏至光遙拝」100㍍ギャラリー

②「夏至光遙拝」100㍍ギャラリーの内部

杉本博司代表作「海景」

④ギャラリー背面の大谷石

⑤「冬至光遙拝」通路と光学硝子舞台

⑥「冬至光遙拝」通路入口

冬至光遙拝隧道入口

東大寺七重塔礎石

⑨奈良元興寺礎石

⑩旧奈良屋門(岸信介別荘)

⑪石造鳥居と茶室

⑫柑橘山春日社

⑬数理模型0010負の定曲率回転面

相模湾小田原市遠景

 

121 明智光秀の道を往く

1 天正年間の丹波進攻
 これまで歴史研究会の仲間と一緒に、明智光秀ゆかりの山城を訪ねたり、亀山城から本能寺への道を歩いたりして来ましたが、いよいよ丹波進攻のルートを歩いて、波多野氏の城「八上城」を目指すウォーキングツアーを計画しています。
 先日ルートの下見のため、丹波入国後の光秀最初の拠点「丸岡城」から、家臣野々口西蔵坊の「埴生城」まで、約15kmの道のりを歩いて来ました。八上城までちょうど中間地点です。(ルート後半の埴生城~八上城約19kmは後日予定!)

  京都府中世城館跡調査報告書の地図を繋ぎました。下は丸岡城八上城です。

 亀岡市の西部は山城が多く、歴史の足跡を訪ねる妙味はもちろんでしたが、篠山街道沿いに並ぶ伝統的な家屋や造り酒屋の老舗、のどかな自然を満喫できる、魅力満載の4時間でした。

2 篠山街道の伝統的建造物
 歩いて30分程で吉川町ですが、農村地帯とは思えない様な建物が続き、かつての篠山街道が豊かな街道であったことがよく伝わって来ます。製菓工場を営んでいた豪商の「曽我家住宅」、丹波寒天を扱っていた「西田彰吾商店」、そして虫籠窓が目立つ厨子二階の建物「佐藤医院」です。

3 伝統の老舗や京都の奥座敷湯ノ花温泉
 吉川町を抜け薭田野町に入ると、創業300年(元禄年間)の「大石酒造」の白壁が見えて来ます。ここで試飲出来ると盛り上がりますが、先を急ぐので素通りしました。旧佐伯館跡と思われる御霊神社の土塁を横目に、やがて湯ノ花温泉に入ります。旧道が山の裾野に見えたので、そちらを歩きました。

4 光秀公首塚明智の家紋桔梗の寺「谷性寺」
 境内に光秀公首塚があることから光秀寺とも呼ばれ、本尊を厚く信心し、家臣に首をそばに埋めるように託していたと言われます。門前では夏になると、明智家の家紋である桔梗が咲き誇る「ききょうの里」行事が開催されます。

5 国衆の野々口西蔵坊の城
 埴生城城門の残る「最福寺」で地元郷土史家と合流し、本丸を目指しました。比高85mですが15km歩いた後なので、息を切らせながらの登城です。頂上からは八木城(丹波三大山城)はもちろんのこと、遠く愛宕山まで望め疲れが吹っ飛びました。
 なお長らく埴生城の遺構かどうか真偽不明だった山門ですが、「麒麟がくる」の建築考証をされた三浦正幸先生が、昨年園部城に来られた際に実際に見て「江戸期より古い」と確認されたとのことでした。

 

 なお本能寺の変について語った『本城惣右衛門覚書』の「本城惣右衛門」は、埴生城主の野々口西蔵坊の配下で戦った武将です。

6 貸し切り状態の路線バス
 埴生城を下りて近くの古民家レストラン「ル・ジャルダンポップ」https://jardinpop.jp/(仏料理)でランチした後、路線バスで亀岡駅に戻ります。田舎のバスは何十年ぶりだったでしょう、本当に来るのか不安なぐらいでしたが、きちんと定刻にやって来ました(京阪京都交通素晴らしい!)。二人で貸切状態でしたが、亀岡駅南口まで810円、むむむという感じでした(笑)

 

 

120 関東屈指の山城と蔵の町

1 関東地方の凄さ
 戦国時代や天下統一は関西を中心に展開し、関東地方や東北・九州などはあまり関わりがないイメージを持っていました。大勢が決した後、豊臣政権に恭順していく様な感じだったので、関東の山城が、規模が大きい事や造りがしっかりしている事に、とても驚きます(99 北関東の日本100名城 - 黒柴りゅうの散歩道)。
 よく考えると、丹波の国衆達も東日本ルーツが多く(承久の変後に新補地頭でやって来た)、関東平野は広大なので当然と言えば当然です。訪れた国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)でも、東日本の高い人口密度と生産力という展示があり(代表例は三内丸山遺跡か?!)、これまでの自分の歴史観を覆されました。

2 金山城国史跡)の魅力
 篠山にある光秀の城は「きんざんじょう」ですが、ここは「かなやまじょう」と呼び、15世紀に新田一族岩松氏が築城しますが、戦国期は由良氏により全盛期を迎え、上杉・武田の攻略にも落城する事なく、難攻不落を誇りました。
 日程にやや余裕がなかったので、スルーしようかと麓を通りかかったのですが、そこから感じる様子でさえ「ただ者」ではなかったので、日程を変更して登城を決意、再建整備された大手虎口の規模と堅固な様子には圧倒されました。
 往時の人々の営みに敬意を表し、本丸の新田義貞神社に参拝し、充実感の内に金山城を後にしました。「上まで登って良かった!」、山城好きの実感です。

3 蔵の街と日光例幣使街道
 ここは旧栃木宿の北に位置し、南北に巴波川が流れと日光例幣使街道に面します。岡田記念館は、この地の領主岡田嘉右衛門の居宅で、畠山家の陣屋にもなっていました。江戸時代に、岡田家は未開の地を開墾して村づくりに貢献したため、この地は嘉右衛門新田と称されるようになり、現在の嘉右衛門町につながっています。

 ただ、町並としては同じ栃木市内の「蔵の街」が印象に強く、併せて伝統的建造物群保存地区にすれば良いのでは、と感じながら見ていました。

 ところで、全国旅行支援事業の「いちご一会とちぎ旅」クーポン(平日なので2,000円)を使って、蔵街の良く見える巴波川(うずまがわ)畔のレストランに入ろうとしますが、どこも取り扱っていません。多分電子アプリなので、レジが対応していないんだと思いますが、「地元の業者を潤わさない旅行支援って何!」と先輩と二人ブーイングでした。高速のSAは使えたのですが、それってどうなんでしょうね?(苦笑)

 

 

119 薩摩の武士が生きた町

1 薩摩藩独特の外城制「麓(ふもと)」
 鹿児島県の伝統的建造物群保存地区としては「知覧」が有名ですが、他の三地区(出水・入来・加世田)もすべて武家屋敷群で構成されていて、日本遺産「薩摩の武士が生きた町」でも名前が知られる様になりました。

 薩摩藩の特徴ですが、藩主の住む地に巨大城郭を築く代わりに中世式の山城を各地に残し、それぞれ家臣に守らせる外城制(とじょうせい)の麓(ふもと)毎に治めていたのです。
2 出水市出水麓(いずみふもと)
 中でも出水市出水麓は、肥後との国境に配された最大級の外城です。旧武家屋敷地の大部分が保存地区に指定されていて、東西南北路の街路を中心に碁盤の目の町並が形成されていました。知覧よりも広々とした印象で、武家屋敷が周囲の環境と一体となって麓の歴史的景観を良く伝えてくれていました。

3 薩摩川内市入来麓(いりきふもと)
 入来麓は、中世山城の清色城を中心に樋脇川を天然の堀に見立て、その内側に武家地を配する居住地域です。街路に面して玉石積の石垣と生垣によって区画され、周囲の山々と一体となった美しい景観でした。なお旧増田家住宅(重文)の掛け軸は、西郷隆盛の揮毫です。

4 南さつま市加世田麓(かせだふもと)
 加世田麓は、中世山城「別府城」の周辺に作られた武家地に始まる麓です。町を流れる益山用水(江戸中期に完成・延長5㎞)と、そこに架かる石橋や屋敷を区切る生垣など、地形をうまく活かして作られた歴史的な雰囲気が良く残っていました。

 

 

118 伝建地区と100名城の町

1 発足時 昭和の伝建地区
 昭和50年の文化財保護法の改正によって伝統的建造物群保存地区の制度が発足し,城下町・宿場町・門前町など、全国に残る歴史的な集落・町並みの保存が図られるようになりまし。
 翌年その最初の指定が行われました。仙北市角館・南木曽町妻籠宿・白川村荻町・京都市産寧坂祇園新橋萩市堀内地区・平安古地区の7地区です。何れも我が国を代表する観光地に育っています。

2 九州の小京都と飫肥城
 そしてその翌年、宮崎県日南市飫肥は九州・沖縄地方で最初の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。以後「九州の小京都」と呼ばれ、大手門の残る飫肥城趾(宮崎唯一の日本100名城)と合わせ、多くの観光客が訪れています。私達夫婦も、椎葉村と美々津の伝建地区を訪れた翌日、師走とは言え予想最高気温14℃を越える暖かい南九州、絶好の好天の中この町を訪ねました。

3 落ち着いた城下の町並
 飫肥は関西人には読みにくい地名ですが、読み方を「おび」と聞くと「ああ」となる有名な町です。地方の小藩の典型的な景観を保ち、江戸時代の地割もよく残していて、道路に沿った石垣や長屋門などが並ぶ街路は、小村寿太郎の生家も含め、まさに伝建地区を代表する景観です。南九州では知覧と並んで永らく訪れてみたい町でした。

 

118 角川武蔵野ミュージアム

1 北関東への再訪
 二月の初旬、奈良出身で東京在住の先輩(110 奈良田原本のカフェ・プラススクエアのオーナー)と北関東を再訪しました。前回時間の都合で寄れなかった下野国一之宮の日光二荒山(ふたらさん)神社と、伝統的建造物群保存地区栃木市嘉右衛門町です(画像・清水PAからの富士山)。

 この二つだけを目的に関東まで出向くのはコストパフォーマンスが悪いので、ずっと気になっていた場所を加え行程を考えました。
 ①角川武蔵野ミュージアム所沢市
 ②忍城(おしじょう)・さきたま古墳公園(行田市
 ③金山城(100名城)太田市
 ④足利学校・足利氏館(100名城)足利市
 ⑤栃木市嘉右衛門町(伝統的建造物群保存地区栃木市
 ⑥日光二荒山神社東照宮(一宮)日光市
 ⑦水戸城弘道館(100名城)水戸市
 ⑧牛久大仏牛久市
 ⑨江之浦測候所(小田原市
なかなかボリューム感のある3泊4日です。

2 武蔵野の奇観
 角川武蔵野ミュージアムは、図書館・美術館・博物館が融合した新しいコンセプトの文化複合施設として2020年にオープンしています。所沢市との共同プロジェクト「COOL JAPAN FOREST構想」の関連施設で、アート・文学・博物などのジャンルを超えて知を再編成したミュージアムと謳われています。
 何と言っても外観が奇抜です。現代都市の空間に突如として岩の塊が鎮座しています。これを見たくてはるばるやって来ました。

 奇抜な外観は隈研吾氏のデザインで、武蔵野の地から湧き出るマグマがイメージされ、およそ2万枚の花崗岩を組み合わせた61面体の建物だそうです。どの角度から見ても迫力十分ですが、4階に上がると更に本の空間「本棚劇場」に圧倒されます。その名のとおり本棚を背景にし、「本と遊び、本と交わる」がコンセプトのプロジェクションマッピングは圧巻でした。

 隣接した場所にある「武蔵野坐令和神社(むさしのにます うるわしき やまとの みやしろ)」もデザインは隈研吾氏、命名は国文学者の中西進氏(元号令和の考案者?)で、現代的な建築と神社らしい古風な外観が不思議とマッチする建物でした。

 

117 九州山地の中の伝建地区

1 山村集落の伝建地区椎葉村
 伝建地区の中で、山村集落は厳しいアクセスの場所が多く、これまでどうしても後回しになっていました。商家町や宿場町などは、昔からの交通の要衝に発展しているので、どこかへ出かけるついでとか、いくつもの地区をかけ持ちで回るとか、気軽に訪れることが可能ですが、山村はそこを目的に旅するという気合いが必要です。
 十根川集落はまさにそんな場所にある伝建地区で、九州山地ほぼ中央の山深い椎葉村内にあり、地図を眺めるだけでも難所だと予想出来ました。到着して周囲を見渡すと、山林に囲まれた急斜面に石垣を使って平地を作り、独特の歴史的景観を作っています。

2 国内最大級の杉の巨樹
 村の中に、近隣八カ村の氏神として崇敬されてきた十根川神社があります。西側には八村杉という戦前に指定された天然記念物がそびえていました。樹齢800年・樹高54㍍・根回り19㍍もの巨木で、九州で一番高いスギ(全国二位)だと言われています。

3 難所を移動し港町の伝建地区美々津へ
 椎葉村から次の伝建地区美々津(日向市)へのコースは、途中台風で国道が大きく崩落していて、険しい山道を迂回しました。家内が何度も「ええっ!ここ行くの?」と声を上げる林道で、谷底に落ちない様気をつけての運転です。結果到着が大幅に遅れ、美々津では暗くなる街を走って写真を撮ることになりました。ここは日向灘に面する港町ですが、神武天皇東征の出発点という伝説が残っています。江戸時代には瀬戸内や近畿地方への玄関口として、美々津千軒と言われるほどの繁栄したそうです。

【上】石畳の中町通 【下】日向市歴史民俗資料館、美々津軒(旧矢野家)

4 夜の参詣日向国一宮
 都農神社に着いた時には辺りは真っ暗で、とてもご朱印の貰える時間帯ではなくなっていました。その夜は宮崎市内のホテル泊なので、翌朝再訪するには往復100kmの移動となり、次の鹿児島での行動が制約を受けることになります。困ったなあ!と弱っていたその時に思い出したのが、かつての職場で仲良くしていた都城市出身の後輩でした。実家に帰る際は家族を連れて車で帰っていたので、その際ご朱印(書き置き)をお願いすれば良いことに気づき、境内を後にしました(後日連絡し快諾!)。
 何にしても暗くなってから神社にお参りしたのは生まれて初めてで、思い出に残る日向国一宮でした。       (画像は暗くて撮れなかったので、公式Instagramより)

 

 

116 実家の裏山が山城!

1 丹波国守護代内藤氏の家臣
 私の実家は丹波山地の山深い場所なので、日本史とは無関係の場所だと思っていました。ところが八木城(丹波三大山城)を調べて行くうちに、生まれ故郷も守護代内藤氏の勢力下に組み込まれていて、幼い頃友人達と遊んだ「城山」が中世城郭(山城)であることが分かりました。名前は田原城(標高323m比高150m)城主は小林氏(日向守)、遠くから眺めると均整の取れた三角形の形で、波多野氏の八上城の様です。

【上】田原城全景 【中】田原城畝状竪堀・田原城堀切 【下】出城亀田城堀切と土塁

2 一番新しく見つかった居館跡
 昨年秋、歴史研究会の仲間16人で田原城に登りました。出城と言われる近くの亀田城も一緒に登ったのですが、見事な竪堀群や堀切・土塁など見つかりました。その時、城郭研究家の高橋成計先生が、「確か川向かいにも小林氏の城館跡があったはず!」と言われたので「そこは私の生まれた在所です。何か分かったら教えてください!」と頼んでおいた所、後日研究仲間が作成された地図と縄張図を送ってくださいました。よく見ると、その城館跡は何と我が家(実家)の裏山でした。「驚愕の事実」が判明しました。

3 まさかまさかの大発見
 裏山は竹やぶで、幼い頃から父と筍を掘り、稲木や竹箒の材料にする竹を切り出していた場所です。作業の際、平らな場所があって仕事がし易く、便利だなと思っていたら曲輪跡でした。比高があまりないので「館」と記載されていますが、立派な「山城」です。
 ちょうど、小林氏の居城「田原城」と出城「亀田城」そして我が家の裏山、三つの城で領地を守っていたのでしょう。若狭国につながる街道と、丹波山地を横切る街道が交差する交通の要衝です。川に尾根が突き出る場所を利用して築城されているので、水運にも持って来いの場所だったかも知れません。

【上】実家と裏山その背後に田原城 【中】主郭跡と土塁 【下】切岸と腰曲輪

4 これからの見通し
 退職後山城の面白さに目覚め、各地の山城を歩いていましたが(日本五大山城を含む約50城)、まさか自分の実家の裏山が山城とは思いもよりませんでした。灯台下暗しです。父が亡くなり竹が倒れて荒れっ放しになっていたので、上がりやすくするため少しずつ整備を進め、文化財になる日を夢見て頑張ろうと思います。(なお小林氏は、豊臣秀吉朝鮮出兵文禄・慶長の役)に出陣していたことが、石田三成発給の文書から分かっています。と言うことは我が祖先も朝鮮半島まで従軍していた可能性があります。日本史は意外にも身近でした!)

【続報】
三月下旬、城郭研究家の高橋成計先生にお世話になり、現場を詳しく見てもらって縄張図を書いていただきました。先生によると「戦闘を想定した造りに十分にはなっていないので、残念ながら山城とは言いがたい。居館跡ですね!」との事でした。
実家の裏山が山城、私が「新シ城」と命名!と言う夢は、あっけなく潰えました。
しばし良い夢を見させていただきました(笑)

【続々報】その後、南丹市の博物館を通じて京都府文化財申請をし、担当2名が現地審査に来られ、弟と二人で対応しました。この遺構の様子なら「新シ城」の名前でOKと、私達の意向を尊重して下さいました。

 

115 魅力の場所が連なる九州山地

1 全国人気上位の黒川温泉
 黒川温泉は十数年程前は、常に人気ランキングの上位でした。その頃の写真に強い印象が残っていて、山に囲まれ川沿いに佇む和の情緒漂う旅館、「いつか泊まるならここ!」そう心に決めていたのが「ふじ屋」でした。人気の宿でなかなか取れませんが、早い目に準備したので何とか予約出来ました。

    黒川温泉のアイコン的なお宿「ふじ屋」、丸鈴橋の欄干にもたれ多くの観光客が記念撮影

2 老舗旅館の魅力
 日田市から九州山地をひたすら阿蘇方向に向かい、南小国町に着く頃にはすっかり暗くなっていました。ところが当日は湯あかりイベントが行われていて、「ふじ屋」周辺には多くの灯りが浮かび上がっています。幻想的な雰囲気の中、写真映えのする丸鈴橋付近は大勢の若者で溢れていました。そのすぐ横が「ふじ屋」ですから、何だか出迎えを受けている様な華やかな気分で辿り着きました(笑)

   手作りの竹灯篭約300個が温泉街を流れる田の原川に吊され、優しい光が温泉街を包む。

   新年の装いが終わったふじ屋の玄関、和の雰囲気が遠路たどり着いた旅人の旅情を高めてくれる。

3 岡城から阿蘇神社へ
 翌日は滝廉太郎の荒城の月で知られる岡城と、阿蘇外輪の中の肥後一宮・阿蘇神社を目指します。旅の第一の目的は伝建地区ですが、やはり城は魅力の場所です。特に岡城の断崖絶壁の石垣は有名なので、ぜひ訪れたい場所でした。道中、青空の下そびえる雪のくじゅう連山がとても美しく、長距離運転の疲れも吹っ飛びました。

    見事に残る岡城本丸跡、同じ地名の兵庫県竹田城を越えるスケール感で圧倒される!

    有名な断崖の石垣、廃城令による終焉が物悲しい荒城の月のメロディーと重なる。

    二ノ丸にある当地出身の作曲家 滝廉太郎像、雪のくじゅう連山との重なりが美しい。

    肥後国一宮 阿蘇神社、全国的に珍しい横参道で境内の立派な6棟の建物が国の重要文化財

4 圧倒的な阿蘇の風景
 阿蘇神社近くのローソンから見えた山々が雄大で、思わず店員さんに「あの山は何という山ですか?」と聞こうとしたのですが、忙しそうだったのでスマホを取り出し確認すると何と阿蘇山でした。「関西から来て一体何を見てるの?」と恥をかく所でした(笑)。スマホの地図にも地形図か航空画像の選択が欲しい所です。
 阿蘇山は、遠くに見える外輪山を含め南北約25km・東西約18kmもあり、世界最大級の火山です。その火口原に国道や鉄道が通り、阿蘇市・高森町・南阿蘇村の三つの自治体に約5万人が生活しています。高岳を最高峰に根子岳、中岳、烏帽子岳杵島岳と連なっている阿蘇五岳、心が洗われる様な見事な風景でした。

    北側・阿蘇市から見た阿蘇の最高峰高岳、中岳、烏帽子岳杵島岳との連りが雄大

    同じく阿蘇市から見た頂上のギザギザが印象的な根子岳、コンビニで驚いたのはこの山

    南側・高森町から望む阿蘇五岳、右から根子岳、最高峰の高岳、中岳、烏帽子岳杵島岳




 

 

114 九州を代表する伝建地区

1 大分県北部の一宮・100名城
 日田市は関西人には馴染みのない町ですが、日田林高の野球部が何度か甲子園に出ているので、地名は頭の隅に残っていました。別府と久留米のちょうど中間地点で、少し行きにくい場所ですが、今回は黒川温泉が九州最初の宿泊場所、道中なので訪れやすいルートです。
 国道九四フェリー佐賀関港を起点に、日本100名城の府中城・豊後国一宮の柞原八幡宮大分市)、豊前国一宮の宇佐神宮宇佐市)を経由して大分自動車道を一路西へ向かいました。途中由布岳PAで休憩の際、冬の晴天下に見事に映える白く神々しい由布岳を目にし、とても清々しい気持ちになります。

【雪で覆われた由布岳の勇姿】

大分市の中心にある府内城の宗門櫓・大手門・廊下橋】

大友宗麟ゆかりの豊後国一宮・柞原八幡宮

【八幡社の総本宮豊前国一宮・宇佐神宮(①大鳥居・②南中楼門・③国宝上宮本殿)】

2 江戸期の建物を数多く残す商家町
 伝建地区の日田市豆田町は、元は城下町でしたが幕府の直轄地となってからは、九州における政治・経済の中心地として発展して来ました。各通りによる整然とした町割が残っていて、様々な時代の建築が残り変化に富んだ町並を形成しています。
 車は散策に一番便利な、上町通り中心部の「天領まちの駅」に停めました。ここはお店の駐車場で2時間500円ですが、2000円分の買い物をすると無料になるので、子ども達家族へのお土産を買いました。Googleマップのクチコミで「店員さんの態度・対応が良くない」と複数書かれていましたが、愛想はないものの特に嫌な感じはしませんでした。ただ店を出ると、家内と「あれで商売大丈夫なんやろか」と同じ事を口にしました(笑)

【車を停めた天領まちの駅前・岩尾薬舗日本丸館】

【東のメイン道・上町通り、意外にも市内には高層マンション】

【薫長酒造と豆田の辻公園横を流れる花月川

【西のメイン道・御幸通りの伝建地区らしい町並】

伝統的建造物群保存地区の中心・草野本家(国重要文化財)】

【往時の様子が分かる江戸時代の長屋と日田天領記念館】

【元は医院の建物を利用したまちづくり歴史交流館



 

113 愛媛を横断し大分へ

1 東山魁夷せとうち美術館
 いつもは明石海峡大橋を渡り淡路島経由で四国に渡るのですが、今回は4泊5日になるので節約の旅です。一番料金の安い瀬戸大橋を渡ることにしたので、いつも寄りたい思いながらスルーしていた「東山魁夷せとうち美術館」(坂出市)に立ち寄りました。学生時代から東山画伯のファンで、就職後は全集を購入しカレンダーも毎年買って来ました。

2 坂の上の雲ミュージアム
 最初の宿泊地は四国最大の都市松山です。お城は以前に訪れているので、今回の目当ては大好きな司馬遼太郎の「坂の上の雲ミュージアム」、我が国の近現代史を博物館にできたのは、とても素晴らしい事です。家内はあまり歴史好きではないのですが、何か感じる事があったのか、二人して閉館近くまで見ていました。
 大国ロシアに圧を受けた時代の展示に、ふとウクライナのことが頭を過ぎりました。先人達が時代の荒波をうまく乗り越えてくれたことに感謝しつつ、大街道で鯛飯を食し伊予鉄市内線でホテルに戻りました。

3 佐田岬そして国道九四フェリー
 九州へは、これまでとは違うルートをと思っていました。伝建地区の訪問も既に北九州は終えているので、フェリーで別府に上陸しようかと考えたのですが、高速に比べかなりの割高で悩んでいました。
 それでもこれまでとは違った旅がしたいと思案中に、愛媛県の西端「佐田岬」が九州に突き出している事を思い出します。調べると豊後水道を横断する国道九四フェリーがありました。愛媛県の三崎港から大分県の佐賀関港へ1時間と少し、大人二人と愛車CX-5併せて9,900円で渡れます。細長い!ぜひ走ってみたい!、胸がわくわくしました。

  (画像は上から、八幡浜港の遠景・佐田岬の九州方向・三崎港フェリー乗船場

 そして九州大分に渡れば、いよいよ以前から訪問を楽しみにしていた伝建地区「日田市豆田町です。詳細は次回以降の記事へ・・・!

 

 

112 冬の九州旅行

1 全国旅行支援の延長
 109の記事「師走のトライ」で「家内と休みが合う今月末に、一緒に九州地方を廻ることになりました」と書いていましたが、クリスマスイブの日から4泊5日の日程で九州を旅して来ました。折しも12月22日までだった全国旅行支援が1週間延長になり、宿の割引と現地で使えるクーポンで5万円程補助を頂きラッキーでした。ささやかながら地方経済にも貢献でき、充実の旅です。
黒川温泉を代表する景色、有名な写真スポット「丸鈴橋」横の宿泊先「旅館ふじ屋」

2 九州山地は雪
 九州は南国で雪に縁がない場所だと思っていたらとんでもない間違いで、多くの名峰は雪に覆われ、スキー場の看板さえ見かけます。それでも大分の由布岳では「九州でもこの辺りは北の方だし山地だからなぁ!」と平静に見ていました。
由布院北東にそびえる由布岳、美しく荘厳な姿で「豊後富士」と呼ばれる。

 その後訪れた くじゅう連山や阿蘇山になると、さすがに「ええっこんな所も雪、九州って日本の南の方なのに・・・」と大いに驚きます。
【上】くじゅう高原から望むくじゅう連山【下】南側から望む阿蘇山高岳根子岳

 さらに霧島連山桜島でも雪が見え、思わず「嘘やろー、ここ南国じゃないの?」と声が出て、妻と共に驚愕の一瞬でした。
【上】霧島連山最高峰の韓国岳(左)と霊峰高千穂峰(右)【下】雪と噴煙の見える桜島

 この後は薩摩半島指宿スカイラインを一路南下、開聞岳にはさすがに雪は見当たらず、何だか胸を撫で下ろしました(変な表現ですが・・・!?)
池田湖と開聞岳の美しい姿を望む、「日本で最も早い菜の花畑」が楽しめることで有名。

3 訪問ルートと宿泊先
12月24日(土)東山魁夷せとうち美術館/②坂の上の雲ミュージアム/③松山城(100名城)/④東京第一ホテル松山
12月25日(日)国道九四フェリー/②府内城(100名城)/③柞原八幡宮( 豊後一宮)/④宇佐神宮豊前一宮)/⑤日田市豆田町(伝建地区)/⑥黒川温泉ふじ屋
12月26日(月)①岡城(100名城)/②阿蘇神社(肥後国一宮)/③椎葉村(伝建地区)/④日向市美々津(伝建地区)/⑤都農神社(日向一宮)/⑦リッチモンドホテル宮崎
12月27日(火)飫肥(伝建地区・100名城)/②鹿児島神宮大隅一宮)/③枚聞神社(薩摩一宮)/④加世田武家屋敷群(伝建地区)/⑤ダイワロイネットホテル鹿児島
12月28日(水)①入来麓武家屋敷群(伝建地区)/②新田神社(薩摩一宮)/③出水麓武家屋敷群(伝建地区)

p.s.
・最終日、鹿児島から自宅まで約900kmを無給油で挑戦、残念ながら高槻の辺りで給油ランプが付き、新名神を下りスタンドへ(残念)
九州道山陽道新名神約900kmを10時間で帰って来たので(途中宮島SAで夕食したのに)、平均速度90km超と言うことになり、やや飛ばし過ぎ(反省)

 

 

111 飛鳥エリアの隠れた見所


1 大化の改新発祥の地「談山神社

 今井町を発ち明日香村石舞台古墳を経由して、多武峰(とうのみね)に向かいました。

 はじめに談山神社の由緒を要約します。
『蹴鞠会で出会った中大兄皇子中臣鎌足が、本殿裏山での極秘の談合の後、645年蘇我入鹿を討ち中央統一国家の偉業を成し遂げた。多武峰はこの後「大化改新談合の地」の伝承が残り、社号の「談山神社」はここから来ているそうです。
 後、天智天皇は、鎌足公の病床を見舞い、内大臣という最高位を授け、藤原の姓を与えました。藤原氏の始まりです。その後唐より帰国した長男・定慧和尚が、十三重塔と講堂を建立し鎌足公の御神像を安置して談山神社が始まりました。』
 先輩に勧められ「紅葉が綺麗だ」ということで何気なく立ち寄った場所でしたが、日本史を体現する凄い神社でした。重要文化財が驚く程に多い(15ヶ所)背景に納得でした。

2 国宝十一面観音「聖林寺
 その後聖林寺を訪ねました。高台にあるので飛鳥の地が見渡せ、大変素敵な場所です。本堂を経て回廊を突き当たると立派な収蔵庫、内部はガラス越しに360°どの方向からも見ることが出来、平日で友人と二人だったこともあり、正面のベンチでゆっくり座って拝観しました。写真は撮れませんが、本堂右に織物で再現されたレプリカがあったので、カメラに収めています。

 ずっと以前から一番に行く場所として先輩から誘われていた聖林寺、収蔵庫の修理が終わり今回やっと実現しました。さすがにフェノロサ和辻哲郎に絶賛された十一面観音です。奈良時代の作と言う点にまず驚きますが、均整がとれスケール感があり、表情豊かで動き出しそうで強く印象に残りました。これを機に国宝十一面観音7体を全部回ろうと言うことになり、観音様のお蔭でシニアの楽しみが増えました。  (下図:聖林寺HPより)

3 最後の最後で大失敗
 帰路、本場の三輪素麺を食べて帰る事に決め、プラススクエアのオーナーお薦めの「三輪山本」のレストランに入りました。木立に囲まれた大変綺麗な場所ですが、何故か私は「冷たいそうめん」を頼んでしまいます。「素麺と言えば冷えたのを食べてこそ!」と思ったのですがこれが大失敗、冷たさばかりが口に広がり本場の素麺を味わい損ねてしまい残念でした。冬はやはり「にゅうめん」で!

 

 

110 奈良田原本のカフェ

1 先輩の経営するカフェ「プラススクエア」
 私のブログによく登場する大学時代の先輩02 奈良大宇陀「又兵衛桜」 - 黒柴りゅうの散歩道」「98 武蔵一宮と蔵の町川越 - 黒柴りゅうの散歩道」「56 真田氏ゆかりの上田城 - 黒柴りゅうの散歩道、同じ関西出身だったこともあって、サークル内で一番親しく過ごしました。その先輩が地元でカフェを開業したと知ったのは3年前の冬、そこから奈良に出かける機会が増えています。今回の今井町再訪でも評判のモーニングを頂くため、友人を誘って早朝より向かいました。

2 高級食パンの魅力
 オーナーである先輩は、現役時代は著名な食品会社で活躍し、退職後はそのキャリアを生かして高級食パンの製造販売を始めました。曰く「故郷の人々に美味しいものを食べてほしい」とのことで、志の高いコンセプトです。併設のカフェは広々としたお洒落な空間で、珈琲豆の焙煎機が置かれているのも魅力です。店長は奈良市内で喫茶店をされていた甥御さんなので、しっかりした経営環境であることも分かります。

3 ザ・フレンチトースト
 お店を訪れた日は、丁度先輩が来ていてグッドタイミング、友人を紹介でき清々しい朝となりました。店の看板メニュー「フレンチトースト」の美味しさに、二人で感動しながら食しました(モーニングに追加)。その後、妻へのお土産に食パンを買いそろって店を後にしました。はてなブログの読者のみなさん、奈良へ出かける機会がありましたら、ぜひ「プラススクエア」にお立ち寄り下さい。吉本の藍ちゃんの番組で紹介されたこともある素敵なカフェです。

psquare.jp

4 そして国宝十一面観音に会いに聖林寺
 さて今井町訪問の後どこに行こうか友人と思案していましたが、先輩にそれを話すと「ぜひ聖林寺談山神社!」と熱っぽく語られたので、午後は迷わずそこに向かうことにしました。詳細は次回の記事で・・・・!