黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)

40 東北四国に続き東海北陸が

 午後9時30分、東海北陸の旅を終えて帰って来た所です。
(今回のルート https://goo.gl/maps/WPxDr5f4rMHKo5Xt5
 平日の場合は、高速の深夜割引を考え12時を過ぎてインターを出るのですが、そんな事で時間を潰しているのも勿体ないと考え、北陸からずっと在来道で戻ってきました。結果、3割引どころか10割引になりました(笑)
 今回のルートは何度も旅行している場所ですが、その頃にはまだ伝建地区に指定されていなかったり、画像が残せていなかったり、いろいろな理由で見逃していた場所を総ざらえにしてきたので、訪問終了箇所は全国82になりました。東北地方・四国地方に続き東海北陸地方が、甲信越の際に予定している一箇所を除いてすべて終わりました。

 

 美濃市美濃町は、慶長年間に金森長近が城下町を建設し、江戸時代を通じて和紙作りで栄えた町です。ここは建物の両妻側にある卯建(うだつ)が特徴です。これは隣り合う家と家の境に設けられた防火壁のことで、見ていても家並みに節度が感じられます。

 高山は人で溢れていました。圧倒的に若者です。下二之町以上に三町の方は混雑時のターミナルのような状況で、コロナの終焉も間近かかなと明るい気持ちになりました。

 白川村荻町の合掌集落は何度も行っているのですが、荻町城跡展望台からの画像がなかったので、ずっと手に入れたいと思っていましたが、今回やっと実現しました。伝統的な建造物が作り出す風景の魅力ここに極まれりという場所です。

 金沢は4ヶ所の伝建地区(東山・主計町・卯辰山麓・寺町台)を有しています。ただその位置関係が捉えにくいので東山地区以外を後回しにしていました。今回こそはと、念入りに調べて訪れてきましたが、やはり迷ってしまいました。 

 南越前町の今庄宿は、少し楽しい事件があったので、また郡上八幡は少し考えてみたいことがあるので、次回以降に詳しく触れたいと思っています。

 

39 四国訪問のラスト

1 徳島城高松城
 今回の四国東半分ツアーでは、三つの日本100名城を訪ねています。徳島城高知城高松城ですが、何れも県庁所在地です。松山もそうですから、一番大きな城下町が県庁所在地に選ばれているということがよく分かります。既に記事にした高知城はもちろんのこと、他の二城も規模の大きい城でした。
 徳島城は、江戸時代を通して蜂須賀氏25万石(阿波・淡路)の居城です。残念ながら建造物は残っていません。堀や石垣から見える城の姿は、大藩にふさわしいものでした。

 高松城は、ブラタモリでも取り上げられたばかりで、月見櫓の辺りが特に海城であったことがよく分かります。非常に立派な天守台が残っていて、そこに架けられた二の丸と本丸を結ぶ鞘橋が、独特の景観を作っていました。

2 室戸市吉良川町
 今回訪れた伝建地区は四ヶ所で、出羽島・笠島・土居廓中ことは既に記事にしましたが、吉良川町がまだでしたので、少し触れておきます。
 出羽島から戻って牟岐町を南下し高知を目指していると、室戸市に入って巨岩が現れました。車を道端に止めスマホで調べると「鹿岡の夫婦岩」とあり、思わずカメラに収めました。

  

 しばらくして、室戸市の吉良川町に着きました。高知県で初めて重要伝統的建造物群保存地区に指定された町で、漆喰壁の商家や瓦の蔵が立ち並び、懐かしい町並みを残しています。土佐漆喰と水切り瓦が独特の景観を創り出していて、壁面に雨がかかるのを防ぎ白壁を保護している家並みが印象的でした。

3 四国の伝建地区に思う
 以前にも言っていますが、四国は内子や脇町そして東祖谷など、印象に強く残る伝建地区が多い様に感じます。今回の笠島や土居廓中なども含め、一層魅力ある町づくりが進むことを願います。

 

38 再び閑話休題-車のこと

 時々入れている読書や車・オーディオの話題は、ブログの中に少し軽い風を送る効果があるようで、星マークもこちらの方が多くなっています。と言うことで、今回も車ネタです。これまで所有したマイカーでベスト3を選んでみたいと思います(現在のCX-5を除く)。

第1位 三菱パジェロ(1996年購入)
・まだ若かったので新車はとても購入できず、5年落ちの中古車を購入しました。その頃は結構ディーゼル車が人気で、軽油が1㍑70円前後だったので信じられない時代です。ただ当時GSでは軽油は離れた所に給油機があり、少し肩身の狭い感じがしていました。
・グレードは2.8ディーゼルターボのミッドルーフワイド、最新の4WDシステム「スーパーセレクト4WD」を搭載していて、二駆か四駆を選択でき二駆の走行時は後輪駆動でした。しかも3列目シートとサンルーフが標準です!
・この頃は空前のRVブーム。まだミニバンは登場してないので、今で言うSUV(当時はクロカン)が主役、確かパジェロが月間販売台数1位になりました。
・ロングドライブが苦にならない車で、画像は休暇村南阿蘇ファミリーオートキャンプ場で撮影したものです。デジカメがなかった時代、写真は記念撮影的な人物中心なのでなかなか見つかりませんでした。

第2位 HONDAオデッセイ(2005年購入)

・FF車が主流になりパッケージングがしやすくなったのか、RVブームはだんだんミニバンに人気が移行して行きました。とりわけオデッセイの登場を期に、背の低いミニバンが流行する中で、二代目と三代目の2台を乗り継ぎました。
・2位に推すのは三代目のアブソルート(黒)です。ちょっと「悪」なフロントマスクが魅力で、スポーティーな走りといざという時の3列目シート(収納抜群)で重宝しました。丁度子ども達が関東の大学に入学したので、引っ越しでは大活躍でした。
・優れもののメーカーオプション・ナビで、マツダコネクトと共通点が多いです。当時のナビはオーディオの場所に納まっていたので目線が下がりがちですが、この車は、現在主流のナビの位置から少し奥まったフロントガラスよりで、パネルを少し沈み込ませて設置されていて、シフトレバー横のジョグダイアルで操作ができる優れものでした。どうしてこれが我が国の主流になれなかったのか、結局欧州車の後を追うように周回遅れでどのメーカーもナビを上に上げました。

第3位 TOYOTAクラウン(2013購入)
・「いつかはクラウン」、実は反発しながらも憧れていました。50代になって子育ても終わり職場でも古参になり、ここが良い機会とばかりクラウンを選びました。ただしこの車も高価なのでやはり5年落ちの中古(ゼロクラウンの次の2.5アスリート)を購入、それでも変な表現ですが「腐っても鯛」、N-BOXとほぼ同じ価格でクラウンに乗れるので喜んでいました。
・オデッセイのアブソルートからの乗り換えだったので、そんなに期待は高くなかったのですが、セダンというパッケージングの持つボディ剛性やそれを生かした脚回りで、純粋に走る愉しさが味わえる良い車でした。
・学生時代を広島で過ごした関係で、遠くの町に行く機会は広島市が一番多かったのですが、クラウンで始めて行った時は「あれっ広島こんなに近かったっけ・・・?」という感じで、快適な長距離ドライブになりました。



 

37 南国土佐の小さな城下町

1 四国伝建地区の魅力
 四国の伝建地区は全部で8つなので多くはありませんが、それでも武家町・商家町・在郷町・港町・漁村集落など多種多様で見所が多い地域です。安芸市土居廓中(かちゅう)は田園地帯の中にあり、武家町と在郷町の両方の佇まいを残す落ち着いた町でした。

河原石を赤土で固めた練り塀、一定の高さに揃えられた生垣、自然石の縁石を使った側溝、武家屋敷・野村家

2 田園の中の時計台
 整備されたの駐車場に車を止めると、まず目に付いたのは町外れに一際目立つ「野良時計」です。「何でこんな所にこんな物があるんだろう?」と思って調べると、観光協会の資料に「家ごとに時計のなかった明治の中頃に、土地の旧家で地主であった畠中源馬氏が自分で時計組み立ての技術を身につけ、歯車から分銅まで手づくりで作り上げた時計台」とありびっくりしました。我が国の近代化は、各地方にいた素封家とその技術に支えられたのだと、改めて江戸時代の地方分権的な国の姿に感慨を覚えました。

3 田園の中の城下町
 もう一つの魅力は城下町であること。土居廓中は、戦国期に築かれた安芸城を中心に形成された町並みです。江戸時代の武家屋敷街の特徴がよく分かるだけでなく、規模は小さいですが立派な堀や虎口を残す城跡があるのが魅力で、訪ねるのを楽しみにしていました。城は、山内一豊重臣五島為重を城主としたのが始まりで、一国一城令後は土居廓中が整備され、五藤氏代々の城下として明治まで続いたようです。
 南国土佐で味わう武士の時代の面影は、格別でした。

【左】安芸城の立派な堀・土塁  【中】安芸城の堂々とした虎口  【右】比高30mで登りやすい本丸

 

36 高知城に圧倒される!

1 「天守=城」ではない
 全国の100名城を訪れていますが、もともと熱心なお城ファンと言う訳ではありません。伝建地区を訪ねて遠くまで来たので、ついでに寄っておこうという感じで、変わったのは以前書いているように、山城との出会いがきっかけです。
 一般的に城というと、関西人のイメージは大阪城か姫路城でしょう。「町中の一角が堀に囲まれ、小高い中心部に天守がある」、そしてその天守こそ城、つまり「天守=城」、そういう感じです。
サンドウィッチマン芦田愛菜の博士ちゃん』の「お城博士ちゃん」の回にも、こんなシーンがありました。石垣と堀を見ている博士ちゃんに、伊達ちゃんが「響大(ひびき)くん、お城まだまだだよねえ!」と言うと、すかさず響大くんが「違いますよ。ここもお城なんです!」と答えます。私もずっと伊達ちゃんと同じでした

   【左】山内一豊騎馬像     【中】高知城の追手門(重文)     【右】板垣退助

   石垣の上に聳える高知城天守、最上部まで40m以上ありそうな見る人を威圧する迫力

2 中世の城郭「山城」と近世の「お城」
 それが山城ファンになって変わりました。戦国時代、実際に合戦の舞台だった山城ですが、江戸時代にはその歴史的役割を終え廃墟となっていきます。それでも現地を訪れ詳しく見ると、石垣や堀切・土塁や曲輪などの名残から、400年以上経っていますが往時の姿が甦って来ます。
 私はその「軍事拠点」と「廃墟」というギャップに惹かれます。各地に残る立派な天守は、今の市役所の庁舎のようなもので、実際に戦いがあった訳ではありません(大阪城会津若松城など一部を除く)。歴史のダイナミズムは、より山城に感じていました。
 ところが廃墟(自然の山)となっている山城を歩いている内に、だんだん近世城郭の凄さが分かるようになってきました。山城にある堀切が満々と水をたたえた堀に変わり、土留めの石積みが壮大な石垣に変化している光景に、圧倒されるようになりました。博士ちゃんではないですが、天守以外の魅力が分かるように成長した訳です(笑)。

【左】本丸と二ノ丸をつなぐ詰門(国重文) 【中・右】二ノ丸から見る天守(国重文)高層建築のような迫力

3 高知城の凄さ
 高知城はあまり好きではありませんでした。遠目に見える望楼型天守は上層が小さく、スケール感に欠ける感じだったからです。加えて司馬遼太郎の描く戦国期の土佐は、長曾我部元親の方が圧倒的に魅力的で(小説『夏草の賦』)、山内一豊は徳川方という幸運が働いたに過ぎないと感じていました(小説『功名が辻』)。
 ところが今回、城内に入り天守に登る中で、大きく印象が変わりました。素人目にも、見事な縄張りそして築城で圧倒されました。特に二ノ丸から見る天守は、本丸の隅に築かれていることもあり、下から連続している石垣の圧倒的な高さと合わせ、高層建築のようで壮観です(しかも現存12天守かつ現存御殿は全国で唯一ここだけ!)。
 山内一豊も凄い、坂本龍馬を生んだ土佐藩の原点に感動した旅でした。

【左・中】全国ただ一つそろって残る現存天守・現存御殿(国重文)  【右】藩主御座所上段の間

【左・中】天守から見下ろした詰門と黒鉄門(国重文)  【右】六階廻縁高欄からはりまや橋方向を望む

 

35 もう一つの離島伝建地区

1 塩飽本島町行きの船に乗る
 出羽島を訪ねた翌日、もう一つの離島・本島(ほんじま)に渡りました。瀬戸大橋のほぼ中央にある与島PAは、島々や行き交う船を望める絶好のビュ一ポイントですが、その与島の真西に海を挟んで2kmの位置にあるのが本島笠島地区です。

https://goo.gl/maps/GTsXJBmibfwdsxJfA

 四国では内子に続いて二番目に指定されていますので、伝建地区の中では古株「ザ・伝統的建造物群保存地区」という感じの見ごたえのある場所でした。
 行政区は丸亀市ですが、その丸亀港から船で渡ります。前日の出羽島に比べると格段に大きな船で、運行会社の建物も大きく一階カウンターで切符が買えました。船はたくさんの親子連れで、一瞬「ここの伝建地区はそんなに人気なのか!」と思いましたがそんな筈はなく、桟橋に「本島タコタコフェスティバル」の字が見えたので、家族連れは(私以外のほとんど)その参加者のようで、リゾート感満載の気分で島に渡れました。

 丸亀港にある本島汽船の建物   240名乗りのフェリーほんじま丸   高速艇ブルーオーシャンで渡る

2 笠島まち並保存センターに向かう
 笠島地区は港から約2kmの道のりなので、待合所でレンタサイクル(¥500)を借りました。途中、塩飽勤番所前を通りなだらかな丘を越えると笠島地区です。さすがに指定から40年近く経っているので、町並は見事に整っていました。何より電線がないのが落ち着きます。指定を受けて間もない出羽島も、やがてこうなるのかなと思いながら東小路を進みました。
 まち並保存センターに入り、スタッフの年配男性に建物の話や笠島の歴史を聞きました。古くから塩飽水軍、塩飽廻船の根拠地として、塩飽諸島のなかで最も栄えた町の豪商の屋敷真木邸は印象的でしたが、何と町並の半分以上が今は空き家になっていると言うことで、伝統を守りながら持続可能な町づくりを進めることの難しさを、ここでも痛感しました。

二段目中央まち並保存センター、三段目右の画像を拡大すると「咸臨丸水夫 髙島清蔵生家跡」の文字が見える

3 日本史を支えた塩飽水軍
 来る途中、玄関の表札に「咸臨丸」の字が見えた家があったので尋ねると、万延元年(1860年)、日米修好通商条約批准使節団を乗せた咸臨丸、勝海舟福沢諭吉・ジョン万次郎らを運んだのは、塩飽の島々出身35人を含む50人の水主だったそうです。暴風雨が襲う航海を成功に導いた日本史の陰の立て役者は、この地の人々だったのでした。 
 それにしても瀬戸内らしい明るく落ち着いた雰図気に、周囲の山々と彼方に瀬戸大橋を望む絶景が加わって、本当に素晴らしい町並でした。

島の到る所で見える瀬戸大橋、通行経験はあっても横から眺めることはまずない。上段中は幸せの鐘、下段左は「瀬戸内国際芸術祭2022」の作品「善根湯×版築プロジェクト」

 

34 昭和の車 令和の高速

 今回の旅で徳島市高知市は数十年ぶりに訪ねました。どちらも昭和の頃とは見違えるように美しくなっていて、電柱の地中化が進んだこともあり県庁所在地に相応しい装いになっていました。随分と時間が経ったことは「車」や「高速道路」でもよく感じ、運転しながらかつてを回想しました。

1 昭和の車の記憶
・社会人になって数年、ディーラーで働いていた友人に奨められ新車を買うことになりました。モデルチェンジしたばかりのTOYOTAカリーナ1.5ST、最高出力83ps/最大トルク12kgm、5足MT(Low→Second→Third→Top→HighTop)で、高速でのドライブが楽しくなりました。カーブに入る前でThirdに落としての運転は、ATにはない醍醐味です。
・ちなみにCX-5は、最高出力200ps/最大トルク45kgm、隔世の感があります・・・・!
・乗用車はセダンかクーペの時代で、若者の多くはクーペです。ワゴンやハッチバックは、商用車か軽自動車のイメージでした。
・装備にナビはなく、カーステレオやエアコンでさえオプションの時代です。しかもこのクラスの車は、まだパワステ・パワーウィンドウではありませんでした。
・昭和はナンバーが「大」「兵」「京」「滋」「奈」と1桁、全国どこも頭1文字だったので「鳥」「熊」「鹿」などがあり、今思えば楽しい感じです。そしてフェンダーミラーです。しばらくしてドアミラー規制が撤廃されました。
・ホイールはスチールが当たり前で、アルミホイールは高嶺の花。バンパーも鉄製から樹脂製に切り替わって行く頃です。

(左)3代目TOYOTAカリーナ、コロナの姉妹車です。  (右)車中泊で目覚めると周りはトラックだらけ!

2 高速道路の変化
・高速道路だけがシートベルト着用の義務があったので、インターに入るとカシャッと閉めます。時速100km/hを超えると「キンコンキンコン」とアラームが車内に鳴り響きました。
・最大の違いは料金所です。ボックスの中に係の人がいて、出発インターで受け取ったチケットを渡すと料金を言われ、お金を渡す仕組みでした。ハイウェイカードができ、 釣銭の手間が省け便利になりましたが、現在のETCとは比べるべくもありません。台湾のように(料金所がない)、高速道路上のセンサーで収受が終わるシステムになれば、更に便利です。
・ネットによる通販が当たり前になり、近所で買える物まで遠くからやって来るので、高速道路はトラックで溢れかえっています。SA・PAに入れないトラックさえ見かけます。これは進化と言えるのでしょうか?

 

33 離島の伝建地区

 四国の島というと瀬戸内の島を思い浮かべますが、実は太平洋側にも離島があります。日本地図を見ていると、四国の東南は九十九里浜のような単調な海岸線が続くように見えるのですが、少しズームアップしてみると入り組んだ場所も見られ、牟岐町の当たりの沖合には、豆粒のような島が浮かんでいます。これが出羽島(でばじま)です。78番目に訪れた伝建地区は、そんな離島にある町並でした。
https://goo.gl/maps/FaxZyFyoz6wip4ar9
 島へのアクセスは、慣れない者には大変でした。車の置き場所や切符の買い方など不明のため、出羽島連絡事業に何度も連絡しましたが電話は繋がりません。仕方がないので現地にやって来て、事務所らしき建物を覗きましたが人影は全く見当たらず、料金も時刻表も不明です。「船は本当に出るのか?」と不安に思いながら、港というよりは桟橋らしき方に向かうと、やっと時刻表が目に入り一安心です。切符はなく船内で現金220円をで払うと、15分程で島の港に着きました。

  ようやく見つかった時刻表    船内の様子(約15分の船旅)   出羽島に着いた連絡船「大生丸」

 江戸から昭和にかけて漁場を拡大しながら島は発展したようで、一時は住民もl000人を数えたとされていますが、現在の出羽島は島民約70人が暮らす大変静かな町です。
 町並を抜け、高台の展望台らしき所から写真を撮ろうとして、道をたずねました。かなり高齢の男性でしたが、道順の他に島の歴史を語って下さり、幼い頃津波を経験したが高台に登り難を逃れたこと、集落が外海の反対側なので家は流されなかったこと、町にはもう子どもはいないこと、漁業に出れる者も少しになったことなど、村のリアルな様子を話して下さいました。重要伝統的建造物群保存地区の指定により、何とかこの島の歴史と伝統が続いていくことを願わずにはおれませんでした。

展望台から眺める出羽島の様子、対岸の牟岐町や近くの島がそこに見える。町並の整備は始まったばかり  

港に近い休憩所「波止の家」と津波避難タワー

 

 

32 一宮巡礼は現在39ヶ国

 四国への旅より帰宅! https://goo.gl/maps/71yMgxuPJXytSnUk6
 阿波一宮・大麻比古神社土佐国土佐神社をお参りできたので、四国は完了しました。これで現在39ヶ国を終えましたが、まだまだ先は長いです。しかも難所と言われる島嶼部(壱岐隠岐対馬)や山頂(越中雄山神社)などがこれからです。また複数の一宮がある国を見落としていたので、再訪が必要の地域もあります。気長に頑張ります。

阿波一宮大麻比古神社。本殿は改修中   土佐国土佐神社長宗我部元親建立(国の重要文化財

無事四国の4つがそろいました。何れも達筆です。全国の状況は下図の通り、68ヶ国中39ヶ国!

 

31 伝建地区を読む

 ブログの中で「重伝建」とか「伝建地区」とか書いていますが、正確には「重要伝統的建造物群保存地区」です。全国には、かやぶき屋根の集落や土塀・生垣に囲まれた武家屋敷、土蔵がならぶ商家の町並などたくさん残っていて、何れも貴重な文化遺産で歴史や文化を理解する大切なものです。
 そんな「重要伝統的建造物群保存地区」を訪問する際、参考にしている本を紹介します。全国とは行かなくても、近くの町にある伝建地区をたくさんの人が訪れるようになって、日本の町づくりが元気になれば嬉しいことです。

①森田敏隆著『日本の原風景 町並』光村推古書院 2014年
 新聞の書評で紹介され¥2,800と少し高かったのですが、迷わず買い求めた本です(現在はAmazonを見ると¥3,080)。平成26年の発行ですので(当時の指定は106市町村、現在は126地区)、文化庁のホームページ等で情報を補う必要がありますが、写真家らしい素敵な画像とコンパクトな説明で伝建地区の魅力がよく伝わって来ます。
 帯の文を紹介しておきます。「日本の旅情、ここにあり。文化庁重要伝統的建造物群保存地区に指定された町並106か所を収録した写真集。武家町、商家町、宿場町、港町、茶屋町、山村、農村、漁村。 どの町並も歴史を秘め、その土地の気候風土に適した暮らしがそこにある。 これぞ日本の原風景。旅に出たくなる美しい一冊。」

②冊子『歴史の町並』全国伝統的建造物群保存地区協議会 2021年
 全体が70㌻程の全建協発行の冊子で毎年更新されていて、伝建地区のうちビジターセンターのような案内所がある場合、そこで入手可能なようです。
 3年前に東近江市五個荘金堂を訪れた際、まちなみ保存交流館のボランティアの方と話していると「少し古い資料ですが」と言って渡されたので、簡単にもらえる物ではないのかも知れません。ただ今年4月に訪れた金ケ崎町城内諏訪小路の金ケ崎要害歴史館では、私が関西から全国の重伝建巡りでやって来たと言うと、「遠い所ご苦労様です。こんな資料がありますよ!」と最新版を頂けました。一つの地区について写真1枚と短いキャプションだけですが、全体を見るには大変良い資料です。

文化財保護法と重伝建】
 こうした町並について、文化財保護法で「伝統的建造物群保存地区」制度が作られていますが、国は特にその価値が高いものを「重要伝統的建造物群保存地区」に選んで、経費を含めた支援を行っています。近年はSDGsの考え方が広がり、持続可能なまちづくりとしても注目を集めるようになって来ました。

※明日から3日間の予定で、まだ訪問できていなかった四国の伝建地区4箇所(牟岐町出羽島・丸亀市塩飽本島町笠島室戸市吉良川町・安芸市土居廓中)を訪ねてきます。阿波一宮と土佐一宮、100名城の徳島城高松城も合わせて訪れる予定です!

 

30 一宮との出会い

1 丹波一宮への参拝
 一宮に関心を持ったのは、3年前に学生時代の友人が関西に来てくれた際、一緒に丹波国一宮「出雲大神宮」(亀岡市)を訪れた事がきっかけでした。彼は出雲の出身で(「21 山城との出会い-月山富田城」の友人ではない)、自分の故郷出雲大社と同じ名前の神社に、以前からお参りしたいと思っていたようです。

一宮巡礼のきっかけとなった出雲大神宮徒然草236段で本殿前の獅子・狛犬が反対を向いている話の舞台です

2 御朱印帳との出会い
 参拝を終えると彼は社務所の方に向かい、御朱印帳を出して神社の方に記載を頼んでいます。当時の私は「ええっ、そんな事は年寄りのする事ではないのか!」と驚いたのですが、よく考えると自分も既に退職し立派な年寄りなので、「そうか、そういう事を始めても良い年なんだな!」と納得し、そこで朱印帳を購入し御朱印を戴きました。
 関西では晩年になると多くの人が「西国33所参り」を始めます。父や母も車で出かけたりバスツアーに参加したりして、戴いた御朱印を表装にして座敷に掛けていました。ただそちらは70代になっても出来そうですし、家内の退職を待って一緒に回るのが良いかなと思っていたので、60代の元気な間に伝建地区や100名城と合わせて、全国の一宮を巡るのは良い計画だなと考えました。

大和国・大神(おおみわ)神社と越後国弥彦神社、どちらも一宮の名の通り多くの参拝客で賑わっていました

3 全国の一宮へ
 こうして始めた全国の一宮巡礼ですが、その名の通り地域を代表する広大な境内や大きな本殿を持つ神社もあれば、意外ですが幼い頃遊んだ近所の神社に近いような身近な感じの神社もあります。もちろん遠路出かけるので巨大な鳥居や楼門に迎えてもらうと感動しますが、こぢんまりしていても凛とした神聖な雰囲気に変わりはありません。
 既に68ヶ国中半分以上37ヶ国の一宮を訪れましたが、その中で御朱印が印象的な神社を紹介してみます。コロナの流行で書き置きの札を渡される一宮もありますが、やはり手書きで頂けると霊験あらたかな感じがして嬉しく感じます。

陸奥国鹽竈神社、同じ境内に志波津神社があるため、珍しく御朱印は両開きでの記入でした

29 CX-5の魅力

1 私の車遍歴
 私の愛車は、2022年式 MAZDA CX-5 XD SportsAppearance(ジェットブラックマイカ)です。購入して二ヶ月が経ちましたが、このブログの通りロングドライブの連続です。一ヶ月点検の時に既に4000kmを越えていたので、ディーラーでは「どうしたらこんな距離になったんですか?」と驚かれましたが、東北旅行などの話をすると納得されていました。
 そんなCX-5の魅力について、購入2ヶ月で感じている特徴を【良い点】を中心にまとめてみます。ちなみに21世紀に入ってからの私の車歴は、パジェロExceed、オデッセイAbsolute、クラウン2.5アスリート、レヴォーグ1.6GTSで、他に家内のトルネオプリウスインプレッサG4がありますので、結構詳しい方になると思います。

【上】仙台市博物館入口にて(仙台城三ノ丸跡) 【左】仙台港にて名古屋に向かう太平洋フェリーの乗船前 【右】津和野太皷谷稲成神社にて、背景の町並みが美しい

2 ドライバーズカー三つのポイント
 車で長距離の旅を考える場合は、ドライバーズカーであることが望ましいと思いますが、ドライバーズカーについてグーネットが三つのポイントを書いてくれていました。
 ①運転する人が楽しんで運転することができる車
 ②優れたパワーユニットを搭載する等高い運転性能を保持している車
 ③車内全体が快適な空間となるよう開発された高級車
この三つの観点からCX-5で私が感じている特徴(良い点)をまとめてみると
①について
・脚周りがとにかくしなやかで、段差や荒れた路面でも気持ち良い。
・高速やワイディングなど、「人馬一体」の感覚で扱いやすい。
・シフトレバーを初め、操作箇所は滑らかで節度感がある。
②について
・圧倒的なトルク感でぐいぐい加速でき、エンジン音も快適。
・高速での安心感が良く、新東名の120km/h区間なども不安を一切感じない。
・高いボディ剛性でミシッとも言わない。車内の異音も全くなく新車の喜びに浸れる。
③について
・とにかく内装の質感が高い。シートは本革で運転席周辺にプラは少ない。
・遮音性が高く、エンジン音はするが室内は非常に静か。
・ナビを手元で操作でき、瞬時の縮尺変更など超便利。この点だけでもこの車を選ぶ価値あり。

大崎上島天満港にて、大三島へのフェリー乗船待ち。しまなみ海道が使えない事が逆に旅情をそそる!

3 総評
 CX-5は欧米でも評価が高く、MAZDA車で最も売れているだけあって、走りの実力は素晴らしく、いつもどこかに出かけたくなる車です。シニアの体力で日本各地を走り回っていますが、本当に疲れません。

28 現地の人との語らい

 長州路三日目の朝は、山陽道佐波川SAで迎えました。空は真っ青、快晴です。
 はるばる訪れた場所で地元の人と話が出来ると、旅の印象はぐっと深まります。そんな会話のやり取りを紹介します。

1 玉祖神社(周防国一宮)
 早朝、玉祖神社に着きました。「たまのおやじんじゃ」と読みます。さすがにまだ人の気配はなく「ご朱印がもらえるのは何時からかなあ・・・」と境内を見回すと、黒いひよこ(天然記念物・黒柏鶏)がいたので見ていました。
 本殿の方で音が聞こえたので挨拶すると、宮司さんらしい方からにこやかに返事が返って来ました。
  私 「ご朱印はもう頂けますか?」
 宮司「大丈夫ですよ。社務所へどうぞ。」
  私 「コロナで書き置きの札の所もあるのですが、書いて頂けるのですか?」
 宮司「もちろん書きますよ。小さい神社は書き手を雇ってないので大変ですが。」
  私 「宮司さんですか。」
 宮司「そうです。どちらからですか?」
  私 「関西です。」
 宮司「よくお参り下さいました。」
  私 「遠くからお参りに来ているので、やっぱり直筆だと嬉しいです。」
 宮司「そうですね。喜んで頂けて良かったです。一宮と言っても規模は様々なので・・・」
一宮の宮司さんと直接話せたとても貴重な機会でした。

(上)『日本書紀』に記載のある古い由緒の神社  (左)神門から拝殿を望む (右)玉祖神社本殿

2 柳井市古市金屋(重要伝統的建造物群保存地区
 素晴らしい町並みを一通り回って、駐車場横の案内所に入りました。
 私 「ここは凄い所ですねえ。建物が密集して残っていて素晴らしいです。」
係の方「ありがとうございます。8月13日の『金魚ちょうちん祭り』にはおよそ4000個飾るんですよ。」
 私 「ぜひ見てみたいですね。夕暮れ時に来れたら最高でしょうね。」
係の方「お待ちしています。何かお土産は買われましたか。」
 私 「佐川醤油店を見学して甘露醤油を買いました。」
住民が力を合わせて町づくりを盛り上げている、そんな感じが伝わってきました。

(上・中)柳井市古市金屋地区の町並み  (下)特産品甘露醤油の醸造蔵「佐川醤油店」と土蔵

3 福山城日本100名城
 広島県立歴史博物館に車を置き福山城に向かいました。入口が分かりにくかったので、ベンチで休んでおられた女性にたずねました。
   私 「福山城天守には、どの道を行けば良いんですか。」
 女性「正面はあちらなんですが、そちらからが近いですよ。」
   私 「遠くから来ましたが立派な石垣ですね。」
 女性「そうなんです。ただ天守は今工事中なので、申し訳ないですね。」
   私 「いえ、櫓や門が見れたら十分です。」
 女性「じゃあ良かったです。」
お城が市民の誇りになっている事が伝わって来て、ほのぼのとした気持ちになりました。

(左)徳川秀忠伏見城から移築させた伏見櫓(国重要文化財)  (右)大規模改修中の天守 

4 矢掛町矢掛宿(重要伝統的建造物群保存地区
 観光案内所を兼ねている「道の駅 山陽道やかげ宿」に車を止め、真新しい建物に入ってスタッフの方と話しました。

  私 「町の雰囲気にぴったりの建物ですね。」
 Staff「昨年出来ました。岡山出身の水戸岡鋭治さんのデザインです。」
  私 「JR九州ななつ星ですね。何か美術館のような感じがしました。」
 Staff「ありがとうございます。伝建地区に行かれますか?」
  私 「もちろんです。私は全国の伝建地区を回っているのですが、ここは知りません でした。」
 Staff「まだ指定されて新しいんです。宿場町ですが、本陣と脇本陣の両方が残っているのは矢掛だけなので、ぜひ見て来てください。」
 その後の町並みの様子も、スタッフの勢いそのままに活気を感じました。行政と住民が一体となって町づくりを進めている、そんな熱く爽やかな気持ちが伝わってきます。こうして長州路への旅は無事終わりました。

(上左)旧矢掛本陣石井家住宅 (上右)旧矢掛脇本陣高草家住宅 (下)旧山陽道、妻入り町家が立ち並ぶ

(左)道の駅 山陽道やかげ宿、伝建地区散策の拠点    (右)古い町並みを下校する子どもたち

27 近代日本始まりの地-萩

1 萩往還って何
 道の駅萩往還(はぎおうかん)で目覚めました。見ると国道を覆うウェルカムゲート的な大門にびっくり、萩の人達の旅行者に対する思いが凝縮されている感じです。
 萩往還とは、参勤交代や人々の往来で使う日本海側(萩市)と瀬戸内側(防府市)を結ぶ53kmの街道のことで、幕末には維新の志士たちが行き来したので、その銅像が迎えてくれました。
 その萩往還沿いの山間部に位置し、藩主の休憩する宿場として町並みが出来たのが佐々並市地区で、重伝建に指定されています。萩は人口5万ですが重伝建4箇所で京都市と並んで最多、歴史の濃さが伝わって来ます。

(左)大門とタイルの色を変えた萩往還 (中)伊藤博文木戸孝允山県有朋 (右)佐々並市地区

2 明治維新吉田松陰
 日本史に大きな影響を与えた人物を人に聞けば、おそらく松陰は上位に入るでしょう。行動の人であったとともに思索の人でもあったので、現代に生きる我々への影響力は信長や龍馬以上かも知れません。
 そんな彼の持つ思想の一端が、松陰神社境内の句碑から知れました。29歳で没した若者の言葉とはとても思えず、仙人のような姿が思い浮かびます。
 気節行義は村塾の第一義なり 徒に書を読むのみに非ざるなり。
 境順なる者は怠り易く 境逆なる者は励み易し
 苟も能く志立たば為すべからざるの事なく 為すべからざるの地なし
 死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし生きて大業の見込あらばいつもでも生くべし
150年を越える時を経て、なお私達の心に響いてくる言葉です。同じ地で同じ時を生きた若者達は、強く魂を揺さぶられたことでしょう。

(左)参拝者の多い松陰神社 (中)世界遺産にも登録されている松下村塾 (右)伊藤博文旧宅

3  城下町萩の魅力
 重臣の住む侍屋敷が並んでいた旧三の丸にあたる堀内地区も、多くの武士が暮らした平安古(ひやこ)地区も伝建地区で、近世城下町の雰囲気をよく残していました。
 特に印象に残ったのが、見事に現存する鍵曲(かいまがり)です。城下に攻めてきた敵を迷わせ、追い詰めて行く工夫の一つです。左右を土塀で囲み道を鍵手型に曲げることで迷路のようになっていて、「堀内鍵曲」「平安古鍵曲」が往時の面影を色濃く残していました。

(左)萩城 (中)堀内地区・家老クラスの屋敷跡 (右)重要文化財口羽家住宅・旧萩藩江戸藩邸移築門

(左)堀内追廻し筋の鍵曲  (中)平安古(ひやこ)鍵曲  (右)維新後の萩の財政を立て直した夏みかん

4 長門一宮
 萩を後にし角島大橋のある豊北町を経由して、下関に向かいました。目指すのは長門一宮住吉神社です。海上の無事を祈る海の神として知られています。同じ一宮の住吉大社摂津国)は、遣唐使の派遣に際し必ず海上の無事を祈りました。 
 案内によると、ここ長門住吉神社は大阪・博多の住吉大社とあわせ日本三大住吉でした。本殿は国宝、拝殿も重要文化財、建物二つが指定されているのは凄い事でした。

(左)長門一宮住吉神社鳥居  (中)長門一宮住吉神社楼門  (右)国宝の本殿「九間社流造」

26 安芸高田から津和野へ

1 毛利元就吉田郡山城
 今回の旅の目的は萩・津和野がメインですが、GoogleMapでルート図を作っていると、中国道沿線に毛利氏の居城「吉田郡山城」を見つけました。戦国の雄そして明治維新の立役者毛利氏、もちろん日本100名城にも選ばれています。山城ファンの私にとって絶対パスできない場所でした。
 安芸高田の町は中国全域に覇を唱えた毛利氏の拠点としては、意外な程小ぶりで驚きましたが、そのギャップが逆に魅力に感じる町でもありました。

 目的地の歴史民俗博物館に到着しました。いつも悩むことで、資料館に入ると城の歴史や武将の事蹟など詳しく分かるのですが、その後の時間に余裕がなくなってしまいます。内容を取るか時間を取るか、結局いつものとおり山城の魅力には勝てませんでした。ちょっと立ち寄るつもりが、博物館や本丸登城を中心に2時間半を費やしてしまいます(これが津和野での動きを制約!)。

郡山城の向かい尼子軍が陣所を築いた青光井山  元就が子らに残した「三矢の訓(みつやのおしえ)」の碑

2 戦国を代表する巨大山城
 郡山城は巨大な山城です。駐車場から西の尾根筋を通って本丸を目指し、到着後主郭付近をじっくり探索しました。その後に尾崎丸堀切を経由して、尼子軍の陣所となった青光井山を見ながら下りて来ます。山城ファンには超魅力のコースですが、100名城のスタンプ収集が目的の方は躊躇されるかも知れません。比高わずか200mの山城なので、ぜひ本丸に登って戦国大名の居城を味わってほしいと感じる名城でした。

  (左)郡山城の本丸の様子   (中)二ノ丸三ノ丸を見下ろす   (右)尾崎丸の堀切

3 スターズオンアースがオークス馬に
 安芸高田市から中国道そして吉賀町を経て津和野に向かいます。途中「道の駅 かきのきむら」で休憩、楽しみにしていた優駿牝馬オークス)の結果を動画で見ました。電波状況が良かったのでJRAのサイトにアクセスし、ドキドキしながらの観戦です。何と「No.23 閑話休題」で触れていた私の本命「スターズオンアース」が、ゴール前最速の脚を使って優勝でした。「ヨシッ!」思わず声が上がります。馬券は単複一点のみですが、元手が9倍程になり道中の予算がぐっと楽になりました(笑)

 JRAホームページより

4 日本五大稲荷-太皷谷稲成神社
 これは毛利氏からのプレゼントか、それともこれから行く津和野に何か待っているのか、とあれこれ想像しつつ山を越えると、前方に巨大な鳥居が現れました。さらに山道を下ると、向かいの山に巨大な神社と無数の幟、大鳥居はその太皷谷稲荷神社でした。
 町の中の案内に沿って向かうと、山の中腹ですが車で参拝できます。高台だけに津和野の町が遠望でき夢中でシャッターを押していると、遠くに朱色の一両編成の列車が見え、時刻表を見ると一日6本の普通車両にたまたま出くわしました。鉄道写真家注目の場所らしく、他府県ナンバーの一眼レフを構える男性もいました。
 社殿も非常に立派なので興味を持って案内板に目をやると、太皷谷稲成神社は日本五大稲荷だそうです。関西人ですので伏見稲荷はもちろん参拝していますし、佐賀の祐徳稲荷はタイ映画で知っていましたが、ここのお稲荷さんは全く知りませんでした。日本各地を回る中で、改めて神社の存在感の大きさに気付かされます。

(左)遠くから丘の上の威容に驚き車で到着 (中)津和野を走る列車JR山口線 (右)太皷谷稲荷神社

5 夕暮れの津和野の街
 ここで郡山城で時間を費やしすぎた影響が一気に出て来ます。まず津和野城に上がるリフトが既に営業終了、歩いて上ろうとしましたが地元の方に今からは止めた方が良いと止められました。津和野で車中泊の予定だったので明日再挑戦とも考えましたが、9時開業なので萩での行動に余裕がなくなってしまいます。森鷗外記念館なども休館日なので、津和野に残るメリットが少なく、伝建地区だけ訪れて萩市に移動することに決定、津和野城はまたの機会に預けました(あるかどうか分からないが・・・・)。
 伝建地区も夕方が近付き人影はまばら、駐車場もどこも閉まっており、車で移動しながら道端に止めて町並みを撮影しました。出発前は「郡山城<津和野」でしたが完全に逆目になり、後悔の夜を迎えます。もちろん郡山城は十分に見応えがあったので、山城ファンとしてはすぐに立ち直って、萩の「道の駅 萩往還」を目指しました。関西より日暮れが遅く感じたのは、やはりそれだけ西に来たからかなと思いつつ・・・・!

(上左)津和野の本町通り (上中)津和野の殿町通り (上右)西周森鷗外を輩出した藩校「養老館」
(下左)財間家住宅 (下中)津和野カトリック教会 (下右)鷺舞、八坂信仰で奉納される伝統舞踊