黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)

25 長州路の旅より

1 東の端から西の端へ
 4月の東北ツアーで、本州東端つまり東北地方の伝建地区すべてを訪れました。そこで5月の旅は本州西端(中国地方で山口県のみ伝建地区も一宮も手つかず状態)長州路を中心に、二泊三日で訪問してきました。
 歴史好きにもかかわらず萩や津和野に行った事がなく、よく友人達から揶揄されてきましたがこれで一安心、近代日本のルーツ・明治維新出発点の一つについてようやく語り合う資格が出来たような感じで喜んでいます。

 ※旅のルート https://goo.gl/maps/YkQm8iT5UbrwfCgw6

2 山陰を代表する絶景
 伝建地区も一宮も日本100名城も、西の地ならではの魅力に溢れていました。帰って来たばかりなので詳細は追って記事にしていきますが、撮った画像で一番印象に残っているのは、三つのどれでもなく実は角島大橋でした。山口県の豊北町の辺りは、新幹線の駅のある町から萩・津和野を訪れる途中にはなく、本州の西北端に回り込むような場所なので、とても出かけにくい所だと思いますが、平日にもかかわらず凄くたくさんの観光客で驚きました。
 南国のような白い砂浜とコバルトブルーの海と合わせ、我が国を代表する絶景だと再認識しました。

 

24 閑話休題-オーディオのこと

 読書に続きオーディオの事です。価格ドットコムを見ると「ポータブルオーディオ」と「ホームオーディオ」に分かれていますが、昭和世代にとってのオーディオはあくまで「ホームオーディオ」です(SONYからウォークマンが出たのは1979年)。

1 昭和のメード・イン・ジャパン
 昭和の後半は「made in Japan」の電化製品が世界を席巻した時代で、特にオーディオは他国の追随を許さない状況でした。初めてヨーロッパに旅行した1986年、ロンドン・パリ・デュッセルドルフ到る所で日本のオーディオ製品を見かけ、誇らしい気分でいっぱいでした(古き良き時代「Japan as No.1」!)。
 スマホはもちろんパソコンもない時代なので、多くの若者はオーディオに熱中していました。私もその一人で、音楽は好きですがそれ以上に再生機器に夢中で、少ないお小遣いで月刊ステレオや週刊FMを買っていたのが懐かしい記憶です。

2 初めてのオーディオ(1970年代)
 当時はまだステレオと呼んでいた時代ですが、次第に一体型(セパレートステレオ)からコンポーネントスタイルに変化している時で、近くにオーディオを扱う電気店のない私は、カタログを郵送で取り寄せ飽きること無く見ていました。
 高一の夏、お年玉の貯金そして牛乳配達のバイト代を合わせ、何とか購入の目途が立ち、父に電気店街に連れて行ってもらいました。念願の装置は手に入ったもののレコードが買えず、たった2枚(Emerson, Lake & Palme「展覧会の絵」、カール・ベーム VPO「田園」)を繰り返し聞いていました(涙)。安価で(無料で)音楽が聴ける現代からは信じられない時代です(LPレコードは1枚2000円以上した!)

SONY PS-2300a、PIONEER SX-515、TRIO LS-300

3 働き始めグレードアップ(1980年代)
 昭和50年代半ば社会人としてスタート。給料をもらえる立場になり、ボーナスを貯めてグレードアップしました。10年近く使ってきた高校時代の装置は友人に譲って予算の足しにしましたが、まだCDプレーヤーは高嶺の花で買える時代ではありません。

PIONEER PL-30L、DENON PMA-750、Victor zero-5fine

4 5.1chホームシアター(2000年代)
 子育て期はオーディオと離れていましたが、今の家を建てた時にホームシアターを設置しました。新築に合わせたので配線はすべて壁に埋めることができ、すっきりした感じです。5.1chは凄い音で映画には合うのですが、音楽の再生(Pure Audio)には以前の機器が優れていました。

Panasonic TH-AE300、KIKUCHI 100、PIONEER VSX820、YST-SW320、YAMAHA NS-2HXほか

5 アナログ回帰(2020年代
 退職を記念して、40年ぶりに音楽のための装置(Pure Audio)をそろえることにしました。そんなに多い予算ではありませんが、二つのことを実現しています。
 ①アナログ復活という時代なので良いレコードプレーヤーにする。
 ②ネット配信の音楽を再生するためDAC付きプリメインアンプにする。
そして意外なことが分かりました。当然高音質が期待できる②を楽しみに購入したのですが、何と音質は①が上でした。多分、可聴帯域外も含めて録音されているので、それが伝わってくるのだと思います。40年前のアナログディスクが100枚程残っていたので聞き応え十分、良い買物でした。

Technics SL-1200GR、marantz PM7005、DALI OBERON3/DW

※下の3枚を除いて、画像はすべて「オーディオの足跡」。明日よりしばらく旅に出ますので、ブログの更新は数日お休みします!

24 続・読書のこと-新書

 このブログを読んでもらっている先輩から、「No.23 閑話休題-読書のこと」について「旅や歴史ばかり読んだあとの、ちょっとしたデザートのような感じ」と嬉しいメールをもらったので、もう少し読書のことを続けます。今回はここ1年で読んで印象に残る新書から・・・・

1 ヒトの壁(養老 孟司)
 生物学を研究している教授とお付き合いがあって、ある時「テーブルの上にコップがあって、私から見ると取っ手は左に付いていますが、そちらから見ると右に付いていますね。科学的と思っている知識にも、この様なことは結構あるので、まして社会や人間の営みは・・・・」、と言われ、大切なことは知識以上に見方考え方だと気づかされました。
 養老先生の本はまさにそんな中身です。知らないことが分かる喜びと、知っていると思っていた事が分からなくなる愉しさ、この本には猫のまると共にそんな魅力が詰まっていて、奥の深い人間論・日本人論だと感じます。

2 サラ金の歴史(小島 庸平)
 本屋で手に取った第一印象が「めちゃくちゃ面白い予感がする」で、そんな本は大体がベストセラーになるのですが、予想通り2022新書大賞に選ばれました。買った時の帯に「もう一つの日本経済史」とあるように、学術的にも内容が濃くサントリー学芸賞を受賞しています。
 高度成長に合わせて成長し、社会人になって「Japan as No.1」と「バブルの崩壊」を経験した世代として現代史を振り返る時、サラ金は時代を見る象徴になる物の一つだと思っていたので、新書にしては分厚いものの最後まで集中して読み終えました。テレビで盛んに放映されたダンスや、街角の「お自動さん」がこの間のことのようで懐かしく感じます。

3 上杉鷹山 「富国安民」の政治 (小関悠一郎)
 4月の東北の旅の際、大きな影響を受けました。イザベラ・バードの『日本奥地紀行』が米沢藩領を理想郷として紹介している一文から始まる本書から、この地の持つ多様で豊かな歴史の魅力を知り、伝建地区も一宮も100名城もありませんが絶対に寄りたい場所でした。
 歳と共に今日の社会を築き上げた先人達への敬意が深くなり、上杉神社の鷹山公之像では思わず頭を下げました。本書はそんな心情に適切な輪郭を与えてくれたような感じです。

4 幕末社会 (須田 努)
 東北旅行の間中、この本を手にしていたのですが、帰路の仙台からのフェリーの中で読み終えました。「夜明けを知らずとも、人々は懸命に生きた」とある帯の言葉が、この本に書かれた時代の雰囲気を、端的に表しています。今の私達は答えを知っていますが、その時を生きる人々は予定調和のように明治維新を迎えた訳では無かったんだと、改めて考えさせられました。
 庄内藩における三方領地替え反対一揆のことは、初めて知りました。戊辰戦争でこの地域が味わった悲劇と合わせ、東北地方の歴史の凄さに改めて驚きます。紹介してあった藤沢周平の『義民が駆ける』はすぐに買い求め読破しました。 

5 独ソ戦 絶滅戦争の惨禍(大木 毅)
 少し前の本ですが、今回のロシアによるウクライナ侵略に当たり、いつもこの本の事が頭から離れなかったので載せておきます。帯にあった「戦場ではない、地獄だ」という言葉と、推薦されている呉座勇一氏の「人類史上最悪の戦争に正面から向き合うことが21世紀の平和を築く礎となるだろう」という言葉が頭から離れません。礎が取り戻せる日を強く望みます。

※画像は何れも「版元ドットコム」より

23 閑話休題-読書のこと

 今回話題は少し旅から離れます。私は本が好きで、大体週一冊・年間50冊のペースで読むことを自分に課してきました。ただし最近は歴史小説の割合が圧倒的に多くなっていますので、勉強というより娯楽の感じです。ここ1年で読んだ本の中で「感動した・読み応えがあった」など、印象に残る小説3冊を紹介することにしました。

※画像は何れも「版元ドットコム」より。『塞王の楯』はなかったので代わりに『じんかん』を掲載しました!

1 帆神 北前船を馳せた男・工楽松右衛門(玉岡 かおる)
 関西在住なのに著者のことを全く知らなくて、書評で知るまで歴史小説家だということさえ知らず迂闊でした。そんな事もあって、半信半疑で恐る恐る読み始めましたが、不安は杞憂に終わり、一気に作者の世界に引き込まれました。全体に骨太の物語で、女性の作品とは思えない程でした(新田次郎文学賞受賞)。
 出版記念講演会が、主人公松右衛門が活躍し作者が住む加古川で開催され、妻と一緒に聴きに行きました。市長の挨拶で始まるなど地元で愛されている作者のようで、温かい気持ちになり素敵な時間を過ごしました。終了後サイン会があり、本を持参していなかったのでその場で買い求め列に並びました。同じ単行本を2冊買ったのは人生初めての経験でした。

2 塞王の楯(今村 翔吾)
 著者の作品は、以前松永久秀兄弟を描いた『じんかん』を読んでいます。本作は新刊が出た直後に本屋で手に取ったのですが、そのボリューム感と価格に気圧され、装丁が派手だったこともあり、買わずに棚に返しました。その後直木賞受賞の報を聞き、やはり読みたいなと思い書店に行くと、今度はどこも売り切れで再入荷待ち、待って購入しただけに夢中で読みました。
 山城ファンの私ですが。石垣や堀切そして土塁といった戦のための構造が、実際の戦いでどういう役割を果たすのか具体的になっていなかったことが、本作の魅力的な登場人物達を通してリアルに感じ取れ、戦国時代を体感できました。圧巻でした。

3 黄金旅程(馳 星周)
 競走馬を取り巻く人々、特に装蹄師の主人公を通して描かれる世界がとても魅力的で、エゴンウレアに人生を託した人々の想いが奇跡を呼び起こせるのか、ハラハラドキドキで一気に読み終わりました。
 ステイゴールド(エゴンのモデル)の活躍した時代のことはよく覚えています。何度も幸運を運んでくれた馬で、1998年の宝塚記念におけるサイレンススズカとのワンツーが一番の思い出です。余談ながら、そのステイゴールドの子オルフェーヴルの大活躍(ディープインパクト以来の三冠馬)は、競馬仲間みんなで嬉しく見守りました。競馬にはいつも歴史とドラマがあります。

p.s. 撮影した画像が残っていた二頭の名馬(キタサンブラックサトノダイヤモンド)。いよいよ今週はオークス来週はダービー、日本の競馬シーンが最も熱く盛り上がる季節です。私の本命は、桜花賞馬スターズオンアースとキタサンブラックの仔イクイノックスにしました(笑)

22 丹波三大山城-黒井城

1 大河ドラマ麒麟がくる
 大河ドラマをきっかけに、明智光秀丹波進攻にスポットが当たり、地元だけでなく近隣の催しによく出かけました。丹波三大山城、黒井城荻野氏・八上城波多野氏・八木城内藤氏や各地の国衆の動きがよく理解でき、現場に足を運んでみたいと思うようになって、どの城も山城ですからハイキング感覚で出かけました。

(左)黒井城遠景、道の駅 丹波おばあちゃんの里より  (右)黒井城の麓、春日局出生の興禅寺

2 荻野直正の城
 黒井城は、続日本100名城にも選ばれている兵庫県丹波市の山城で、遠くから見ても良い城だなと一目で分かります。春日歴史民俗資料館の文書では、武田氏とも連絡を取り合っていた様で、織田軍の標的になり四年に渡る進攻によく持ち堪えました。特に第一次黒井城合戦では、波多野氏の裏切りも誘って撃退、光秀最大の危機となりました。

(左)黒井城本丸 (中)虎口の石垣 (右)遙かに光秀築城の金山城を望む(右端遠方の山)

(左)金山城石垣と丹波市 (中)近くに広重も描いた鬼の架け橋 (右)遙かに黒井城を望む(中央)

3 丹波市の魅力
 丹波学講座で丹波の森公苑に通う内に、ここが大変魅力的な街であることに気づきました。春は加古川堤防の桜並木、およそ1000本の桜が5kmに及ぶ絶景です。秋は「丹波紅葉三山」高源寺の紅葉に包まれた三重塔、近畿一円から多くの観光客が集まります。そして藩主織田家の公邸「柏原藩陣屋跡」と周辺のお洒落なカフェなど、近くの柏原高校は芦田均首相を送り出した名門ですので、歴史と自然と文化が見事に融合している、そんな感じの街です。

(左)加古川堤防の桜並木  (中)「丹波紅葉三山」高源寺の三重塔  (右)柏原藩陣屋跡(織田氏

(左)レストラン ル・クロ 丹波邸 (中)パティスリー&カフェ中島大祥堂 (右)大ケヤキ(木の根橋)

21 山城との出会い-月山富田城

1 大学で学ぶ
 退職後のプランの一つに、もう一度大学で学びたいというのがありました。学生時代の専門とは異なる内容の学問(社会学)には、もう一つ別の人生を歩む様な魅力を感じていたからです。ところがリタイヤ後の仕事としてやり甲斐のある部署を打診されたため、そちらを選択しました。ただ学びの魅力は捨てきれず、親しくなった教授のゼミで聴講させて頂くことに。ここで歴史や自然を生かした町づくりについて考える中で、島根県邑南町を知ることになります。

(左)邑南町於保知盆地の鉄穴残丘 (中)里山イタリアンAJIKURA (右)宇都井駅(旧三江線高さ日本一) 

2 出雲への旅行
 そして翌2020年、学生時代に親しくしていた出雲の後輩が定年になり、久しぶりの再会と邑南町のフィールドワークを兼ねて訪ねることにしました。行きたい場所のリクエストを聞かれ次の様に連絡しました。
・邑南町のフィールドワークとヒアリング
・町づくりのシンボルで人気の「里山イタリアンAJIKURA」
重要伝統的建造物群保存地区石見銀山大森地区」「大田市温泉津」
・日本遺産出雲國たたら風土記「菅谷たたら山内」「田部家土蔵群と吉田の街並み」
日本100名城月山富田城
石見国一宮「物部神社出雲国一宮「熊野大社
・旧三江線「天空の駅」宇都井駅(高さ日本一の駅)
二泊二日(夜行バス)にしては盛り沢山ですが、遠路出かけるとどうしてもそうなりがちです。東北の旅でもそうでしたが、訪問場所の取捨選択は今後も続く課題です。

(左)吉田のまち並み (中)田部家土蔵群 (右)菅谷山内高殿(重文)『もののけ姫』たたら場モデル

(左)石見銀山大森の町並み  (中)石見国一宮・物部神社本殿  (右)出雲国一宮・熊野大社拝殿

3 山城との出会い
 「天守のない城は城と言えるのか」「日本100名城に値しているのか」など疑問に思いながらも「月山富田城」という名前に惹かれ、半信半疑で訪れました。足立美術館を過ぎると明らかに形の違う山を遠くに見つけ、運転する後輩は「どれですか?」という感じでしたが、私は何とも言いようのない姿に目が釘付けになり、期待が高まりました。
 月山富田城は新鮮な驚きでした。山城の威容に圧倒される一方で(雑誌『歴史人』で全国の山城最高評価)、何故か不思議に「身近さ」を感じたからでした。立派な建造物がない分、逆に普段の生活を感じ、「この道を歩いたのか」とか「ここで敵を防いだのか」など、尼子晴久山中鹿之助が近しい存在に感じたのでした。「天守の無い城なんてつまらない」と言う私の固定観念は完全に覆されました。しかも多くの山城は近世の城と違って、実際の合戦の場だったので余計にインパクトを感じました。
 以後、山城ファンです。大河ドラマ麒麟がくる』の影響で、明智光秀に関係のある丹波の山城を中心に、これまで40城を訪れました。もちろん日本五大山城の月山富田城(尼子氏)・小谷城(浅井氏)・観音寺城(六角氏)・七尾城(畠山氏)・春日山城(上杉氏)はすべて登りました。

(左)足立美術館の向こうに山城   (中)月山富田城七曲り   (右)広大な石垣と山中御殿平

(左)三ノ丸の堅牢な石垣    (中)山中御殿平北の虎口菅谷口    (右)山中御殿平の大堀切

 月山富田城本丸。天文9年(1540年)尼子晴久は大軍を率いて安芸の毛利元就の居城吉田郡山城を攻めた!


  月山富田城本丸から城下の広瀬の町を望む。中央の広い場所は安来市立広瀬小学校の運動場。

 

20 重伝建訪問は現在70ヶ所

1 重伝建との出会い
 重要伝統的建造物群保存地区の存在を知ったのは、今から35年前、仕事の一環で白川村の調査をした時に始まります。火災に弱い合掌造りを放水銃で守るなど、他の地域では見られない町並み保存の工夫や取組の背景に国の施策があり、それが随分長い名称(漢字13文字の熟語などまずない!)だったことが印象に残って、折に触れて他の地域も調べる様になったことが始まりでした。

杵築市の北台南台地区、(左)時代劇の撮影に使われる酢屋の坂(中)同じく武家屋敷の長屋門前(右)周辺地域もよく整備されている。訪れた頃は「なぜ伝建地区にならないのかな」と不思議だったが、その後指定に!

2 ライフワークに
 その後、妻籠や伊根の舟屋など、独特の景色を持つ地域が何れもこの保存地区だったことで次第に心を惹かれるようになり、すべての伝建地区を生涯をかけて回ろうと決心しました。その頃は記憶では50地域前後だったので、1年に2・3ヶ所ずつ回れば、退職する頃には丁度「制覇」出来るなと漠然と考えていました。

内子や脇町そして東祖谷、四国は印象に強く残る伝建地区が多い!

3 現在の到達点

 ところが指定地域は年と共に増えていて、既に100を越え簡単には終わらないと気づきました。そこで改めて文化庁の資料で整理し、現状を把握することに(別表)。令和3年時点で伝建地区は126ヶ所にもなっていて、私が訪問を終えているのは70ヶ所、まだゴールは遠いことが分かりました。ただ4月には手つかずだった東北地方を一気に制覇したので、今後シニアの時間的余裕を生かして集中的に訪問し、30代に始めたプロジェクトを完成させるつもりです。
 そしてどうするか、写真集を作るか論文にまとめるか、楽しみは広がります!

19 関西最後の伝建地区訪問

1 岐阜関ケ原古戦場記念館                      
 関ケ原の戦いで有名な岐阜県関ケ原町。そこに一昨年「古戦場記念館」がオープンしました。館長が小和田哲男先生なのでずっと気になっていたのですが、ようやく友人と一緒に訪ねる事が出来ました。
 最新技術を集めた体験型の施設で、特に戦いを上空から俯瞰して捉えることの出来るグラウンド・ビジョン、合戦の渦中にいるかの様な大迫力のシアター映像、この二つにはとても驚きました。また5階の関ケ原を一望できる展望室も画期的で、現場をリアルに捉えられる工夫として見事です。

(左)素敵な外観の古戦場記念館 (中)予約していたので先に展示室へ (右)展望室から臨む石田三成陣跡

2 石田三成陣跡
 記念館から北西に1kmほどの場所にある石田三成陣跡に向かいました。駐車場も整備されているので、車で向かいます。途中、徳川家康最後陣地や決戦地があり、更に進むと石田三成の陣のあった笹尾山の麓に着きました。陣跡は小高い場所なので、階段状の道を登ることになります。そこからは関ヶ原古戦場を一望に見渡せ、本陣を構えた状況がよく分かりました。

(左)記念館横の徳川家康最後陣地 (中)笹尾山にある石田三成陣地 (右)三成陣地から記念館を望む

3 彦根市に向かう-関西最後の伝建地区訪問
 重要伝統的建造物群保存地区彦根市河原町芹町地区、近畿地方で唯一訪ねていなかった伝建地区です。すぐ近くの彦根城を訪問した際、ノーマークで見過ごしていたため、わざわざ再訪することなく後回しになっていました。江戸時代の城下町の町割りと戦前建てられた町家等を良く残していて,商家町としての歴史的光景が良く分かります。
 写真を撮る時に、伝建地区でいつも気になるのが電柱・電線です。我が国も漸く目抜き通りは電柱の地中化が進みましたが、少し裏通りに入るとまだまだで、カメラのアングルに悩みます。昭和の面影と言えなくもないのですが、メインストリートと並行して取組が進むと嬉しい限りです。
 何にせよ重要伝統的建造物群保存地区、東北地方に続いて近畿地方全制覇です。

(左)昭和11年開店の理髪店と街の駅 (中)旧郵便局高崎邸『逓信舍』 (右)滋賀中央信用金庫銀座支店

4 御料理伊勢幾
 彦根市は人口は11万人余ですが、長い歴史を持つ市街地はそんな小さな町には感じません。立派なアーケード街の銀座商店街に隣接し、伝建地区河原町のすぐ近くにある伊勢幾でランチにしました。久しぶりに会った友人との食事ですから、少し贅沢なランチです。店は歴史を感じる作りで明治10年創業、戦前はここでの結婚披露宴が地元のステータスだったようです。

(左)歴史を感じる伊勢幾の外観 (中)案内された部屋の庭 (右)少しだけリッチなランチ

5 クラブハリエ彦根美濠の舎
 食後のコーヒーを、彦根城の見えるたねやの二階にあるカフェで取ることにしました。全国的に人気の店だけあって、ショップには多くの人が訪れています。店内はやはり圧倒的に女性が多く、男性だけの客は私達だけでした。ただシニアというのは、意外と学生時代の気分に近いので、全く気にならない時間を過ごしました。

(左)クラブハリエ彦根美濠の舎 (中)二階カフェ (右)カフェ限定・人気の天使のふわふわミニスフレ

18 りゅうヒストリー

 随分前に娘がりゅうの年表を作ってくれていました。いろんな事件を起こしてくれ大変でしたが、今となっては可愛らしいイラスト同様、ほのぼのとした温かい思い出です。

 

 りゅうは2004年3月我が家にやって来て、2018年4月に逝ってしまうまでの14年間、家族の一員でした。その間に、中高生だった娘や息子は進学で家を離れ、再び戻ってきて就職し、結婚・子育てと大きな変化がありました。ただりゅうは変わらずマイペースで、他の犬種の様にベタベタしてきませんので「孤高の犬」という感じでした。

17 旅の相棒CX-5

1 車を乗り換える
 SUBARUレヴォーグ、2015年に購入して7年が経ち、10万kmに近づいた事もあって、乗り換えを決心したのが昨年10月、半導体不足で車の納入に時間がかかると聞いて、車検の半年前からの車選びでした。
 普通車を選べるのはもう最後かも知れないので、後悔しないよう7車のディーラーを回り試乗を繰り返したので、結構マニアックな車選びです。最終的に決めたのはマツダのCX-5ですが、その時の詳しい経緯は、価格ドットコムのレビューに『7車を試乗比較、アウトランダーと最後まで悩む!』のタイトルで投稿しています。

価格.com - 『7車を試乗比較、アウトランダーと最後まで悩む!』 マツダ CX-5 2017年モデル kuroshiba12さんのレビュー評価・評判

    大崎上島から大三島へ渡る山陽商船のフェリーを待つ(先頭で乗船準備 myCX-5)

2 SUVでの車中泊
 一般的には、ミニバンの方が車中泊に向くように思われがちですが、私はそうでもないかなと思っていて、特に自分の様な『二人までの使い方』の場合、SUVには多くのメリットを感じています。
車中泊すると言うことは遠距離まで出かけるので、ドライバーズカーであることが必須条件です。CX-5は欧米でも評価が高く、MAZDA車で最も売れているだけあって、走りの実力は素晴らしいです。
②ミニバンの場合、車中泊のためにはシートをアレンジする必要があり、またフラットとは言え多少凸凹が残りますが、SUVは後席を倒すだけで荷室と後席のシートが瞬時に平らになるのでとても便利です。
③ミニバンでも、サードシートを上げてセカンドシートをたためばフラットなスペースが出来ますが、高さが低く50cm程度が多いので、床に寝るような感じになります。CX-5の場合、地面からの高さは75cmなので、畳かベッドで寝る感覚に近いです。

  意外にも車中泊に重宝するSUV、後席シートを倒せば瞬時に長さ170cm(実測)のスペースに。
3 サービスエリアか道の駅か
 この3月4月の間に車中泊を計7泊しましたが、いつも場所を決める際「サービスエリアか道の駅か」で悩んでいました。東北などは広大なスペースの道の駅が多いものの、車中泊の車も結構多く、サンシェードを持っていない私は隣との間隔が気になります。この点は高速道路のSAやPAの方が広々とした感じですが、トラックが多くエンジンを着けたまま停車しているので、音が気になります。ということで一長一短でした。

 北陸自動車道米山SAから望む米山(992m)。四角錐の頂上部がよく目立ち古くから海上交通の目印。

16 しまなみ海道二人旅

 1 車中泊の利点
 GW前半、夫婦でしまなみ海道に出かけました。東北での話を聞いた妻が(現役なので平日は仕事)、車中泊に興味を示していたので、1泊2日の旅を前日深夜に出て2泊2日にし、山陽道龍野西SAで車中泊しました。
 翌朝感想を聞くと、想像していたより快適だったそうで、マットとシュラフを急遽購入した甲斐がありました。既に岡山近くまで来ているので時間にゆとりが生まれ、深夜割引にもなります。浮いたお金で、朝食に特上の玉子かけご飯をいただきました。

 

2 二つの一宮
 岡山市には備前と備中二つの一宮があって2km程しか離れておらず、名前も吉備津彦神社と吉備津神社です。不思議だなと思いながらお参りすると、ガイドの方が詳しく説明して下さいました。元は一つの神社で吉備の国が備前・備中・備後と分かれる際に神社も分かれたとのことでした。
 参拝を終わり移動中、町中に巨大鳥居を発見しました。最上稲荷大鳥居、この辺りでは有名な寺院(神仏習合)だそうです。それにしてもでかい!(全国第4位)

(左)備前一宮・吉備津彦神社 (中)備中一宮・吉備津神社 (下)最上稲荷大鳥居   

3 重伝建吹屋地区
 ずっと訪問したかった吹屋地区ですが、アクセスが大変なので後回しにしていましたが、ようやく訪ねる事が出来ました。観光客も多く賑わっていて驚きでした。ちょうど平成24年の3月まで、現役で国内最古の木造校舎として使用されていた「旧吹屋小学校校舎」の保存修理工事が完了し、公開になったばかりのようでラッキーでした。
 町並も小学校跡もとても魅力的な場所で、石州瓦や赤いベンガラ壁の様子から、大切に保存されている感じがよく伝わって来ました。

伝建地区・吹屋の町並みと修復された旧吹屋小学校

4 大崎上島へ渡る
 西日本の観光地で、何度も訪れているのがしまなみ海道、美しい景色と美味しい魚、それらが自動車道で一体の魅力となっています。今回は大崎上島の「きのえ温泉ホテル清風館」に泊まりました。瀬戸内の海を見ながらの温泉や食事にずっと憧れていましたが、船で渡る必要があるためなかなか訪れる事が出来ませんでした。


(左)竹原港より白水港へ (中)きのえ温泉ホテル清風館 (右)フェリー乗船前

5 大三島から能島城へ
 山城ファンで八木城の観光ガイドも務めている私にとって、海に囲まれている能島城はずっと訪ねてみたい城でした。今回「能島城跡上陸&潮流クルーズ」が予約でき、漸く夢が実現しました。和田竜氏の小説『村上海賊の娘』のいくつかのシーンが、頭の中で蘇って来ます。それにしても川より凄まじい潮流には驚きました。

(左)城へ渡るクルーズ船  (右)出丸の鯛崎島  (下)村上水軍の拠点能島城

6 日本総鎮守 大山祇神社 
 大山祇(おおやまづみ)神社には以前も来ていますが、ご朱印をいただく目的の旅を始める以前のことだったので、今回改めてお参りしました。GWとは言え大勢の参拝客で、島にある神社とは思えない光景でした。
 全国の国宝・重要文化財の武具約8割が、宝物館に保存展示されていると聞いていたので入館しました。『鎌倉殿の13人』放映中なだけに、頼朝や義経奉納の甲冑など興味深く見せて頂きました。

(左)伊豫国一宮・大山祇神社の総門 (右)日本総鎮守の大山祇神社の本殿

 伊藤豊雄ミュージアム

 最後に、安藤忠雄などと並ぶ我が国を代表するプリッカー賞受賞の建築家、伊藤豊雄のミュージアムに足を運びました。以前二人で伊藤氏の作品「みんなの森 ぎふメディアコスモス」も訪れていて、楽しみに向かいます。島の西端に位置する建物は建築と言うよりアート作品で、瀬戸内の光景に絶妙に溶け込んでいて印象に残る場所でした。

(左)伊東豊雄建築ミュージアム  (右)旧自邸を再生したシルバーハット

15 もう一つの旅(中国地方)

1 もう一つの旅
 4/18から4/26まで8泊9日の東北の旅(ブログ№5~№13)、GW中の夜の作業で頑張り、ようやく全部記事に出来ました。それとは別に、東北に出る前に車中泊のリハーサルを兼ね、鳥取城や津山城の桜を見に行っていました。その旅の記事までは、なかなか手が回らなかったのですが、東北を終え余裕が出来たので記事にしておきます。
 関西から一泊で岡山県北部まで行くとなると、その周辺をもう少し回る事が出来るので、こんなコース計画を立てトライしてみました。https://goo.gl/maps/nyKS6U4iJu5fbANT9


2 播磨・因幡伯耆そして美作一宮

 最初に訪れたのは播磨国伊和神社(宍粟市)、参道に巨木が並び気持ちの良い風が流れていました。境内はとても落ち着いた雰囲気で、ゆったりとした神社です。 駐車場は鳥居前の道の駅でした。
 その後鳥取県に抜け、因幡国宇倍神社鳥取市)へ、神社で初めて御祭神武内宿禰命と共に、紙幣の図柄となった神社だとのことでした。
 2日目に訪ねたのは伯耆国倭文神社湯梨浜町)、読みにくいですが「しとりじんじゃ」です。境内の伯耆一ノ宮経塚(国史跡)から、平安時代初期の銅経筒を始め仏像、銅鏡、るり玉などが発掘され、出土品は全て国宝に指定されました。

 最後に訪れたのが、美作国中山神社津山市)です。由緒のある神社で、後白河法皇の編んだ「梁塵秘抄」では、西の大社として安芸の厳島社・備中の吉備津宮などと肩を並べているようです。元冦の際は、勅命により全国7ケ国の一宮で国家安穏の祈願をしたようですが、当社も選ばれたと伝えられています。

(上左)播磨国伊和神社 (上右)因幡国宇倍神社 (下左)伯耆国倭文神社 (下右)美作国中山神社

3 重要伝統的建造物群保存地区
 若桜若桜鳥取県商家町)、大山町所子(鳥取県農村集落)、津山市城東・城西(岡山県商家町)の4ヶ所を訪れました。若桜町は重伝建の指定地区になったばかりで、鬼ヶ城を訪れると町の中に重伝建の幟が溢れていたので、現地で知り驚きました。重伝建の中でも農村集落は少ないので、大山町所子(ところご)は特に印象に残ったのですが、村の集落の雰囲気に懐かしい思いを感じました。

(上左)若桜町蔵通り (上右)津山市城西地区 (下左)所子門脇家住宅 (下右)所子在所内の道と水路

4 満開の桜と城跡
 日本100名城は鳥取城と津山城、続100名城は若桜鬼ケ城と米子城で、4ヶ所を訪れました。と言うよりどの城も本丸は山上にあるので山城そのもので、特に鳥取城は上り坂が非常に急だったため、山城装備出来ていなかった私は大変苦労しました。それでもどのお城も桜が満開で、石垣とのコントラストがとても美しく見頃でした。
 重伝建、一宮、100名城、わずか二日間でもたくさん回れることが分かり、次の東北の旅の重要な参考になりました。

(上左)鳥取城二ノ丸 (上右)米子城本丸から望む大山 (下左)津山城備中櫓 (下右)津山城遠景と桜

14 旅のブログのまとめ方

 このブログのサブタイトルは、日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)なので、構成の核になっているのは、三つの訪問先の画像と文章です。もちろん同好の士に伝えたいという思いはありますが、そうでない人にも「ええっ日本にこんな所あったの?」とか「全国には魅力的な場所がたくさんあるなあ!」と感じてもらいたい気持ちです。実際、家族や友人から「素敵な場所教えてもらってありがとう!」と連絡が来ますし、その瞬間は幸せな気分になり、表現する事の醍醐味を感じます。
 ここしばらく東北への旅を記事にしていましたが、一つの記事を作るのにどれぐらい時間をかけてるのともよく聞かれます。私の場合の作成の手順は、以下の流れです。

①画像を整理する
 カメラの画像をまずデスクトップパソコンに転送します。撮影用のカメラは二つで、状況に応じてNikon D90SONY DSC-WX350を使い分けています。一日の撮影画像は大体200枚ぐらいあるので、その日のフォルダを訪問場所順で5つ程度のサブフォルダに分け整理します。

②画像を選び名前を付ける
 たくさんの画像を撮りしかも日にちが経ってくると、撮影場所は覚えていても何を写したのかが曖昧になって来ます。そこでもらってきたパンフレットやGoogleMapなどを使い、○○城・○○門・○○櫓など正確な名称でファイル名にします。

載する画像を選択する

 撮影の時はどの画像も大切な瞬間を残すつもりで撮っていますが、やはり差は出ます。見栄えの良い画像ばかりではないので、バランスなども考えて吟味し、その土地を代表していると思える数点に絞ります。

④記事の文章を考える
 整理していると、だんだん画像に付けたい文章がキーワードで浮かんできます。それらの言葉をその都度ワープロ一太郎にメモし、つないだり広げたりして文章を膨らまし、ネットでリサーチして裏を取りながら整理していきます。

はてなブログの画面上で編集する
 文章はすぐに貼り付けて小見出しを太字にします。簡単なコピペです。ところが画像が手間がかかります。東北の旅の場合、一つの記事の画像は大体15枚程度ですが、撮影時のままだと3MB以上で重すぎるので、画像ソフトで仕上がりを調整しながら1MB以下にサイズ変更しています。それを編集画面で「写真を投稿」機能で選択してアップし、リサイズしながら編集画面にレイアウトするのですが、ここがサクサク行かず時間がかかります。Pro版にすればスピードアップになるようなら、すぐにでもそうするのですが・・・・

⑥記事を公開する
 最後に読み返して誤字脱字がないか入念にチェックして(仕事のように他者にチェックしてもらえないので難しい!)、「公開する」ボタンが押せると達成感で心が満たされます(と言うより目標が果たせた責任感でホッとするような感じです。誰に言われたわけでもなく作成しているのに、変な感じではあるのですが・・・・)笑 。

⑦まとめ
 以上が私流のまとめ方です。こんな感じで半日近くかかる時もありますので、何とかする必要があります。もう少し慣れると改善のポイントが見えてきそうですので、そこまで頑張ります!

13 東北地方への旅⑨⑩(帰路)

1 仙台城に向かう
 東北ツアー8・9日目(4/24・25)、車中泊東北道菅生PAで目覚めました。さすがに月曜日の朝なので乗用車は少なく、トラックがほとんど。フェリーの搭乗手続きに時間が必要なため、余裕を見て早朝より仙台に向かいました。
 仙台城天守こそ残っていないものの、壮大な石垣から巨大城郭であったことが窺えます。慶長年間に政宗が築城してから、廃藩置県までの約270年に渡り伊達氏の城で、広さ約2万坪、大藩にふさわしい大規模な城でした。なお伊達政宗騎馬像は、3月の地震で傾き修復中、覆いが被さっていて見れませんでした。

(上)大藩らしい大規模な石垣  (左)大手門脇櫓  (右)伊達家の大広間前に駐車

2 東北大学そして杜の都
 周辺は東北大学のキャンパスです。城を出ると、広々として緑の多い素敵な構内でした。ここの理学部に高校の友人が二人、はるばる関西から進学していました。中学時代から天文部を立ち上げ、一人は反射望遠鏡を作る程マニアックでしたから、元々理科大学として構想された本学に憧れたのでしょう。
 街もそれに劣らず樹木の多い美しい都市で、杜の都と呼ばれる所以です。街路樹が豊かと言うより、街の中に森があるように感じる場所さえある程でした。

杜の都の名にふさわしい仙台市の中心街  街路樹越しに聳える宮城県

3 仙台港フェリー埠頭へ
 帰りは疲労も極致になり、運転が大変になるだろうと予想してフェリーを予約していました。仙台・名古屋間を車で移動すると高速代約17,000円、太平洋フェリーは早割を使うと約19,000円、同じ様な額に感じますがフェリーの方は宿泊できます。つまりベッドで眠れ(洋室S寝台)、大海原を見ながら大浴場にも入れ、何より700kmの移動に伴う燃料代がかかりません。旅の終盤の私の作戦は大正解でした(笑)

太平洋フェリー「いしかり丸」の乗船を待つ  乗用車100台を積載できる船内の様子

4 伊勢国一宮から我が家へ
 翌朝、港に架かる世界的に有名な海上斜張橋名港トリトン」をくぐり名古屋港に到着、20時間を越える船旅(仙台港12:50発・名古屋港10:30着)は無事終わりました。
 帰宅の途中に鈴鹿市新名神を降り、伊勢国一宮都波岐奈加等神社に参拝。椿大社は以前訪問していたので、これで伊勢国一宮二つの朱印が揃いました。
 こうして東北地方9日間の旅を無事に終え、事故なく帰って来れました。大変お疲れ様でした。

(上)名港トリトンとLEGOLAND (下)船内プロムナード、都波岐奈加等神社の本殿

12 東北地方への旅⑧(岩手・宮城)

1 東北道を南下、盛岡へ
 東北ツアー7日目(4/24)、今日は八戸から仙台に向けて300km以上走行します。岩手県に入り盛岡を目指していると、前方に巨大な山塊が見えて来ました。岩手山です。東北地方はどこも平野が広く高い山が聳えるため、富士山を見るような感じです。
 時間の関係で車から見るだけでしたが、100名城の盛岡城に立ち寄りました。東北の県庁所在地はどこも美しく、盛岡城の桜や石垣と見事に調和していました。

(上左)雄大岩手山 (上右)盛岡城の石垣と桜 (下)不来方橋から見る岩手山

2  岩手県唯一の伝建地区金ケ崎
 花巻・北上を過ぎ金ケ崎町城内諏訪小路地区に着きました。ここは街路に面して生垣と屋敷林が連なり、その奥に武家住宅が配される自然環境豊かな伝建地区でした。まちなみ交流館の方も歴史館の方も大変親切で、関西から全国の重伝建巡りでやって来たと伝えると、「ご苦労様です」と労いの言葉をいただき、遠路やって来た甲斐がありました。

(上)菅原家住宅 (中)整備された旧大沼家侍住宅 (右)金ケ崎要害歴史館

3 陸奥国一宮 鹽竈神社(塩釜「しおがま」)
 宮城県に入り一宮を目指します。鹽竈神社志波彦神社は併設されているので境内がとても広く 大勢の参拝客で賑わっていました。ご朱印帳を渡す際、弥彦神社の隣にとお願いしたのですが、二社の朱印を押すので見開きで「陸奥国一宮之」となりました。迫力があり良い感じです。はじめての経験でした。

(上)参拝者が非常に多い陸奥国一宮・鹽竈神社 (下)二つセットの御朱印

4 奥の細道ゆかりの場所
 鹽竈神社には、藤原忠衡義経と藤原家のために寄進した「文治の燈籠」があり、元禄2年に芭蕉曽良と参詣しました。『奥の細道』でこの燈籠に触れ「渠(かれ)は勇義忠孝の士なり」と記しています。
 多賀城跡近くの丘には多賀城碑が残っています。この碑は奈良時代の古碑で、西行源頼朝も詠んだ歌枕の壺碑(つぼのいしぶみ)として知られていて、松尾芭蕉も訪れ対面した感激を『奥の細道』に記しました。

芭蕉が参詣した「文治の燈籠」 対面した感激が『奥の細道』に記されている多賀城

5 蔵の町村田
 今回のツアー最後の重伝建の宮城県村田町村田地区、これで東北地方すべて訪問になります。ここは街道に沿って町並みが形成された商家町で、店は土蔵造りが多く、江戸後期から近代にかけて繁栄した町並みが、重厚な景観をつくり出していました。
 日が暮れかけていたので足早に車を止め案内所に入ると、伝統的な建物が被害を受けた東日本大震災からの復興を機に重伝建の指定を受けたため、町づくりはまだまだこれからだと教えられ、町毎に様々な背景がある事を改めて実感しました。
 そして東北最後の夜、仙台へ向けUターンし東北道菅生PAで車中泊です。旅の記念に牛タンを食べました(笑)

(上)旧大沼家住宅と蔵を生かした八百屋カフェLeCocon藍 (下)食堂「杜の牛たん」