黒柴りゅうの散歩道

日本各地の旅の記録(伝建地区と一宮そして100名城)

115 魅力の場所が連なる九州山地

1 全国人気上位の黒川温泉
 黒川温泉は十数年程前は、常に人気ランキングの上位でした。その頃の写真に強い印象が残っていて、山に囲まれ川沿いに佇む和の情緒漂う旅館、「いつか泊まるならここ!」そう心に決めていたのが「ふじ屋」でした。人気の宿でなかなか取れませんが、早い目に準備したので何とか予約出来ました。

    黒川温泉のアイコン的なお宿「ふじ屋」、丸鈴橋の欄干にもたれ多くの観光客が記念撮影

2 老舗旅館の魅力
 日田市から九州山地をひたすら阿蘇方向に向かい、南小国町に着く頃にはすっかり暗くなっていました。ところが当日は湯あかりイベントが行われていて、「ふじ屋」周辺には多くの灯りが浮かび上がっています。幻想的な雰囲気の中、写真映えのする丸鈴橋付近は大勢の若者で溢れていました。そのすぐ横が「ふじ屋」ですから、何だか出迎えを受けている様な華やかな気分で辿り着きました(笑)

   手作りの竹灯篭約300個が温泉街を流れる田の原川に吊され、優しい光が温泉街を包む。

   新年の装いが終わったふじ屋の玄関、和の雰囲気が遠路たどり着いた旅人の旅情を高めてくれる。

3 岡城から阿蘇神社へ
 翌日は滝廉太郎の荒城の月で知られる岡城と、阿蘇外輪の中の肥後一宮・阿蘇神社を目指します。旅の第一の目的は伝建地区ですが、やはり城は魅力の場所です。特に岡城の断崖絶壁の石垣は有名なので、ぜひ訪れたい場所でした。道中、青空の下そびえる雪のくじゅう連山がとても美しく、長距離運転の疲れも吹っ飛びました。

    見事に残る岡城本丸跡、同じ地名の兵庫県竹田城を越えるスケール感で圧倒される!

    有名な断崖の石垣、廃城令による終焉が物悲しい荒城の月のメロディーと重なる。

    二ノ丸にある当地出身の作曲家 滝廉太郎像、雪のくじゅう連山との重なりが美しい。

    肥後国一宮 阿蘇神社、全国的に珍しい横参道で境内の立派な6棟の建物が国の重要文化財

4 圧倒的な阿蘇の風景
 阿蘇神社近くのローソンから見えた山々が雄大で、思わず店員さんに「あの山は何という山ですか?」と聞こうとしたのですが、忙しそうだったのでスマホを取り出し確認すると何と阿蘇山でした。「関西から来て一体何を見てるの?」と恥をかく所でした(笑)。スマホの地図にも地形図か航空画像の選択が欲しい所です。
 阿蘇山は、遠くに見える外輪山を含め南北約25km・東西約18kmもあり、世界最大級の火山です。その火口原に国道や鉄道が通り、阿蘇市・高森町・南阿蘇村の三つの自治体に約5万人が生活しています。高岳を最高峰に根子岳、中岳、烏帽子岳杵島岳と連なっている阿蘇五岳、心が洗われる様な見事な風景でした。

    北側・阿蘇市から見た阿蘇の最高峰高岳、中岳、烏帽子岳杵島岳との連りが雄大

    同じく阿蘇市から見た頂上のギザギザが印象的な根子岳、コンビニで驚いたのはこの山

    南側・高森町から望む阿蘇五岳、右から根子岳、最高峰の高岳、中岳、烏帽子岳杵島岳




 

 

114 九州を代表する伝建地区

1 大分県北部の一宮・100名城
 日田市は関西人には馴染みのない町ですが、日田林高の野球部が何度か甲子園に出ているので、地名は頭の隅に残っていました。別府と久留米のちょうど中間地点で、少し行きにくい場所ですが、今回は黒川温泉が九州最初の宿泊場所、道中なので訪れやすいルートです。
 国道九四フェリー佐賀関港を起点に、日本100名城の府中城・豊後国一宮の柞原八幡宮大分市)、豊前国一宮の宇佐神宮宇佐市)を経由して大分自動車道を一路西へ向かいました。途中由布岳PAで休憩の際、冬の晴天下に見事に映える白く神々しい由布岳を目にし、とても清々しい気持ちになります。

【雪で覆われた由布岳の勇姿】

大分市の中心にある府内城の宗門櫓・大手門・廊下橋】

大友宗麟ゆかりの豊後国一宮・柞原八幡宮

【八幡社の総本宮豊前国一宮・宇佐神宮(①大鳥居・②南中楼門・③国宝上宮本殿)】

2 江戸期の建物を数多く残す商家町
 伝建地区の日田市豆田町は、元は城下町でしたが幕府の直轄地となってからは、九州における政治・経済の中心地として発展して来ました。各通りによる整然とした町割が残っていて、様々な時代の建築が残り変化に富んだ町並を形成しています。
 車は散策に一番便利な、上町通り中心部の「天領まちの駅」に停めました。ここはお店の駐車場で2時間500円ですが、2000円分の買い物をすると無料になるので、子ども達家族へのお土産を買いました。Googleマップのクチコミで「店員さんの態度・対応が良くない」と複数書かれていましたが、愛想はないものの特に嫌な感じはしませんでした。ただ店を出ると、家内と「あれで商売大丈夫なんやろか」と同じ事を口にしました(笑)

【車を停めた天領まちの駅前・岩尾薬舗日本丸館】

【東のメイン道・上町通り、意外にも市内には高層マンション】

【薫長酒造と豆田の辻公園横を流れる花月川

【西のメイン道・御幸通りの伝建地区らしい町並】

伝統的建造物群保存地区の中心・草野本家(国重要文化財)】

【往時の様子が分かる江戸時代の長屋と日田天領記念館】

【元は医院の建物を利用したまちづくり歴史交流館



 

113 愛媛を横断し大分へ

1 東山魁夷せとうち美術館
 いつもは明石海峡大橋を渡り淡路島経由で四国に渡るのですが、今回は4泊5日になるので節約の旅です。一番料金の安い瀬戸大橋を渡ることにしたので、いつも寄りたい思いながらスルーしていた「東山魁夷せとうち美術館」(坂出市)に立ち寄りました。学生時代から東山画伯のファンで、就職後は全集を購入しカレンダーも毎年買って来ました。

2 坂の上の雲ミュージアム
 最初の宿泊地は四国最大の都市松山です。お城は以前に訪れているので、今回の目当ては大好きな司馬遼太郎の「坂の上の雲ミュージアム」、我が国の近現代史を博物館にできたのは、とても素晴らしい事です。家内はあまり歴史好きではないのですが、何か感じる事があったのか、二人して閉館近くまで見ていました。
 大国ロシアに圧を受けた時代の展示に、ふとウクライナのことが頭を過ぎりました。先人達が時代の荒波をうまく乗り越えてくれたことに感謝しつつ、大街道で鯛飯を食し伊予鉄市内線でホテルに戻りました。

3 佐田岬そして国道九四フェリー
 九州へは、これまでとは違うルートをと思っていました。伝建地区の訪問も既に北九州は終えているので、フェリーで別府に上陸しようかと考えたのですが、高速に比べかなりの割高で悩んでいました。
 それでもこれまでとは違った旅がしたいと思案中に、愛媛県の西端「佐田岬」が九州に突き出している事を思い出します。調べると豊後水道を横断する国道九四フェリーがありました。愛媛県の三崎港から大分県の佐賀関港へ1時間と少し、大人二人と愛車CX-5併せて9,900円で渡れます。細長い!ぜひ走ってみたい!、胸がわくわくしました。

  (画像は上から、八幡浜港の遠景・佐田岬の九州方向・三崎港フェリー乗船場

 そして九州大分に渡れば、いよいよ以前から訪問を楽しみにしていた伝建地区「日田市豆田町です。詳細は次回以降の記事へ・・・!

 

 

112 冬の九州旅行

1 全国旅行支援の延長
 109の記事「師走のトライ」で「家内と休みが合う今月末に、一緒に九州地方を廻ることになりました」と書いていましたが、クリスマスイブの日から4泊5日の日程で九州を旅して来ました。折しも12月22日までだった全国旅行支援が1週間延長になり、宿の割引と現地で使えるクーポンで5万円程補助を頂きラッキーでした。ささやかながら地方経済にも貢献でき、充実の旅です。
黒川温泉を代表する景色、有名な写真スポット「丸鈴橋」横の宿泊先「旅館ふじ屋」

2 九州山地は雪
 九州は南国で雪に縁がない場所だと思っていたらとんでもない間違いで、多くの名峰は雪に覆われ、スキー場の看板さえ見かけます。それでも大分の由布岳では「九州でもこの辺りは北の方だし山地だからなぁ!」と平静に見ていました。
由布院北東にそびえる由布岳、美しく荘厳な姿で「豊後富士」と呼ばれる。

 その後訪れた くじゅう連山や阿蘇山になると、さすがに「ええっこんな所も雪、九州って日本の南の方なのに・・・」と大いに驚きます。
【上】くじゅう高原から望むくじゅう連山【下】南側から望む阿蘇山高岳根子岳

 さらに霧島連山桜島でも雪が見え、思わず「嘘やろー、ここ南国じゃないの?」と声が出て、妻と共に驚愕の一瞬でした。
【上】霧島連山最高峰の韓国岳(左)と霊峰高千穂峰(右)【下】雪と噴煙の見える桜島

 この後は薩摩半島指宿スカイラインを一路南下、開聞岳にはさすがに雪は見当たらず、何だか胸を撫で下ろしました(変な表現ですが・・・!?)
池田湖と開聞岳の美しい姿を望む、「日本で最も早い菜の花畑」が楽しめることで有名。

3 訪問ルートと宿泊先
12月24日(土)東山魁夷せとうち美術館/②坂の上の雲ミュージアム/③松山城(100名城)/④東京第一ホテル松山
12月25日(日)国道九四フェリー/②府内城(100名城)/③柞原八幡宮( 豊後一宮)/④宇佐神宮豊前一宮)/⑤日田市豆田町(伝建地区)/⑥黒川温泉ふじ屋
12月26日(月)①岡城(100名城)/②阿蘇神社(肥後国一宮)/③椎葉村(伝建地区)/④日向市美々津(伝建地区)/⑤都農神社(日向一宮)/⑦リッチモンドホテル宮崎
12月27日(火)飫肥(伝建地区・100名城)/②鹿児島神宮大隅一宮)/③枚聞神社(薩摩一宮)/④加世田武家屋敷群(伝建地区)/⑤ダイワロイネットホテル鹿児島
12月28日(水)①入来麓武家屋敷群(伝建地区)/②新田神社(薩摩一宮)/③出水麓武家屋敷群(伝建地区)

p.s.
・最終日、鹿児島から自宅まで約900kmを無給油で挑戦、残念ながら高槻の辺りで給油ランプが付き、新名神を下りスタンドへ(残念)
九州道山陽道新名神約900kmを10時間で帰って来たので(途中宮島SAで夕食したのに)、平均速度90km超と言うことになり、やや飛ばし過ぎ(反省)

 

 

111 飛鳥エリアの隠れた見所


1 大化の改新発祥の地「談山神社

 今井町を発ち明日香村石舞台古墳を経由して、多武峰(とうのみね)に向かいました。

 はじめに談山神社の由緒を要約します。
『蹴鞠会で出会った中大兄皇子中臣鎌足が、本殿裏山での極秘の談合の後、645年蘇我入鹿を討ち中央統一国家の偉業を成し遂げた。多武峰はこの後「大化改新談合の地」の伝承が残り、社号の「談山神社」はここから来ているそうです。
 後、天智天皇は、鎌足公の病床を見舞い、内大臣という最高位を授け、藤原の姓を与えました。藤原氏の始まりです。その後唐より帰国した長男・定慧和尚が、十三重塔と講堂を建立し鎌足公の御神像を安置して談山神社が始まりました。』
 先輩に勧められ「紅葉が綺麗だ」ということで何気なく立ち寄った場所でしたが、日本史を体現する凄い神社でした。重要文化財が驚く程に多い(15ヶ所)背景に納得でした。

2 国宝十一面観音「聖林寺
 その後聖林寺を訪ねました。高台にあるので飛鳥の地が見渡せ、大変素敵な場所です。本堂を経て回廊を突き当たると立派な収蔵庫、内部はガラス越しに360°どの方向からも見ることが出来、平日で友人と二人だったこともあり、正面のベンチでゆっくり座って拝観しました。写真は撮れませんが、本堂右に織物で再現されたレプリカがあったので、カメラに収めています。

 ずっと以前から一番に行く場所として先輩から誘われていた聖林寺、収蔵庫の修理が終わり今回やっと実現しました。さすがにフェノロサ和辻哲郎に絶賛された十一面観音です。奈良時代の作と言う点にまず驚きますが、均整がとれスケール感があり、表情豊かで動き出しそうで強く印象に残りました。これを機に国宝十一面観音7体を全部回ろうと言うことになり、観音様のお蔭でシニアの楽しみが増えました。  (下図:聖林寺HPより)

3 最後の最後で大失敗
 帰路、本場の三輪素麺を食べて帰る事に決め、プラススクエアのオーナーお薦めの「三輪山本」のレストランに入りました。木立に囲まれた大変綺麗な場所ですが、何故か私は「冷たいそうめん」を頼んでしまいます。「素麺と言えば冷えたのを食べてこそ!」と思ったのですがこれが大失敗、冷たさばかりが口に広がり本場の素麺を味わい損ねてしまい残念でした。冬はやはり「にゅうめん」で!

 

 

110 奈良田原本のカフェ

1 先輩の経営するカフェ「プラススクエア」
 私のブログによく登場する大学時代の先輩02 奈良大宇陀「又兵衛桜」 - 黒柴りゅうの散歩道」「98 武蔵一宮と蔵の町川越 - 黒柴りゅうの散歩道」「56 真田氏ゆかりの上田城 - 黒柴りゅうの散歩道、同じ関西出身だったこともあって、サークル内で一番親しく過ごしました。その先輩が地元でカフェを開業したと知ったのは3年前の冬、そこから奈良に出かける機会が増えています。今回の今井町再訪でも評判のモーニングを頂くため、友人を誘って早朝より向かいました。

2 高級食パンの魅力
 オーナーである先輩は、現役時代は著名な食品会社で活躍し、退職後はそのキャリアを生かして高級食パンの製造販売を始めました。曰く「故郷の人々に美味しいものを食べてほしい」とのことで、志の高いコンセプトです。併設のカフェは広々としたお洒落な空間で、珈琲豆の焙煎機が置かれているのも魅力です。店長は奈良市内で喫茶店をされていた甥御さんなので、しっかりした経営環境であることも分かります。

3 ザ・フレンチトースト
 お店を訪れた日は、丁度先輩が来ていてグッドタイミング、友人を紹介でき清々しい朝となりました。店の看板メニュー「フレンチトースト」の美味しさに、二人で感動しながら食しました(モーニングに追加)。その後、妻へのお土産に食パンを買いそろって店を後にしました。はてなブログの読者のみなさん、奈良へ出かける機会がありましたら、ぜひ「プラススクエア」にお立ち寄り下さい。吉本の藍ちゃんの番組で紹介されたこともある素敵なカフェです。

psquare.jp

4 そして国宝十一面観音に会いに聖林寺
 さて今井町訪問の後どこに行こうか友人と思案していましたが、先輩にそれを話すと「ぜひ聖林寺談山神社!」と熱っぽく語られたので、午後は迷わずそこに向かうことにしました。詳細は次回の記事で・・・・!

 

 

109 再訪「奈良橿原 今井町」

1 師走のプチ旅行「今井町への再訪」
 若い頃、職場が同じだった時の友人と半年に一度の約束で、畿内の歴史的な街や建物を中心にミニトリップしています。今回は奈良に旅して来ました。目的地は国宝十一面観音の「聖林寺」と伝建地区の「今井町」です。近畿地方は既にすべての伝統的建造物群保存地区を訪問し終えているのですが、電柱の地中化が進んだ「橿原市今井町」は再訪したいと思っていたので、良い機会になりました。随分昔に訪れ、写真が行方不明だったこともあり、友人には感謝です。

2 戦国期を自治都市として乗り切った今西家
 やはり電柱・電線がないと、見事な景観になっていました。今井町は戦国期、堺などと同じ自治都市で、町を環濠で覆い本願寺と結んで織豊時代を乗り切った歴史を持っています。その歴史を偲ばせる建物が密集する見事な街並や、町の歩みを象徴する建物「今西家住宅」(国重要文化財・要予約)や、立派な本堂を持つ「称念寺」(こちらも国重要文化財)などしっかり残っていて、重要伝統的建造物群保存地区の名にふさわしい町でした。今西家の御子孫でまるで学芸員のような女性の素敵な説明も、大変印象に残りました。予約しておいて良かったです。

 

3 シニアのひとり言
 いくつになっても人間は、手応えのある時間を送りたいと思っています。ところがその手応えは、自分でデザインしていく必要があるのでシニアは大変です。
 現役時代はそれを仕事が与えてくれていました。私生活でも子育てなど大変で、家を買うというビッグイベントもあります。つまり手応えだらけです。その時はそれが苦労の種だったのですが、実は二度と戻って来ない濃密な時間だった事に気付きます。シニアになりそれが身に染みます。もちろん神様から「では明日から戻してやろうか?」と言われれば「それは勘弁して下さい!」となるので勝手なものなのですが・・・・
 そんな訳で、旅行やブログの発信に加え職業人として復活です。

 

108 晩秋の便り

1 さつまいも収穫その後
 今年から始めた私の「横着農業」、夏は植え付けが終わればほぼ手入れがいらないさつまいもで良かったのですが(「49 私の畑作り」「89 私の畑作りその後」「105 芸術の秋 食欲の秋」)、収穫後の畑はどうするかいろいろと悩んでいました。

 かぶや大根を植えて漬物にすれば保存ができ、子ども達や知人に配りやすいなと考えてみたのですが、さつまいもを収穫できた10月中旬は既に植え付けの時期を過ぎていたので断念。そして今月に入って、ホームセンターの野菜苗のコーナーを見ていると、玉ねぎの苗がたくさん並んでいたので「これだ!」と思って買い求めました。調理方法が多く保存も可能なのでぴったりで、世話もそんなに大変ではなさそうです。
 子どもの頃は祖母の畑作りをよく手伝っていましたが、自分で作るとなると何もかもが新鮮で、冬にも作物が育つことがとても不思議でした。そんな事を思いながら、耕耘機で固くなっていた土を耕し、マルチを被せて玉ねぎ苗を植え付けると、何か充実感が湧いてきます。シニアが農業に惹かれる理由が分かります。
 さて来年のGW明け、どんな風になっているでしょうか!

2 晩秋の散歩コース
 私の散歩コースはいつも決まっていて、まず通勤通学の人の流れに乗って最寄りの駅に向かい、そこから小川に沿って大きな河川に出、その堤防をずっと歩いて自宅に戻る約3kmのコースです。堤防は遊歩道になっていて桜や松が植えられ、たくさんの人が歩いています。
 その河原側にたくさんのススキが群生していて、晩秋の趣を際立たせてくれます。毎日通る場所なのに、何度もスマホで撮っています。その都度「一眼レフを持って来れば良かった!」と思うのですが、重いカメラと共にする散歩は嫌なので(結構スタスタ歩く様にしている)仕方ありません。
 このススキの季節が終わると冬。そこで一句!「夕暮れに すすきの大波 秋が行く」

 

107 聖地身延山と赤沢宿

1 甲府の親戚と合流
 山梨県の伝建地区「早川町赤沢」は、息子の嫁のお父さん(甲府在住)を誘っていたので、日蓮宗総本山・身延山久遠寺と合わせて訪問することにしました。
 朝早く八王子を発ち、甲州市塩山の伝建地区「下小田原上条」を足早に見学し、10時過ぎには甲斐国一宮「浅間神社で合流しました。参拝後、お義父さんのふるさと市川三郷町(はんこの生産量日本一)の印章資料館に向かい、その後に早川町赤沢です。

2 身延往還と赤沢宿
 赤沢は日蓮宗身延山久遠寺から七面山へ至る参道に位置し、全国から参詣する講の宿(宿坊)として栄えました。関西で言えば伊勢講の様な感じでしょうか。急な斜面に往時を偲ばせる旅籠屋が建ち並び、かつての繁栄がよく伝わって来ました。

【やまなし観光推進機構HPより】
 赤沢宿は「身延山」と、修験霊山「七面山」を結ぶ身延往還の宿場町として栄えた山あいの静かな集落です。昭和30年代に現在の車道が通るまでは、七面山に通じる唯一の道として、多くの参詣客がここを通りました。最盛期の明治~昭和初期には、1日に千人程の宿泊客がいたと言われています。伝統的建造物群保存地区にも選定されており、江戸情緒漂う美しい街並みを残しています。

3 ゆるキャン△と宿の駅清水屋
 街並みを一巡するとお昼を過ぎていたので、宿の駅清水屋に寄り名物の豆餅をいただく事に。ちょうど『ゆるキャン』✕ 早川町コラボキャンペーン中で、コースターをプレゼントされました。孫へのお土産になるかなあと思いつつ、勧められた二階の部屋に上がると、そこは『ゆるキャン△』に登場したあの和室でした。こたつに入りお義父さんと一緒にゆっくり珈琲と豆餅を味わいながら身延山と自然を満喫しつつ、久遠寺の石段へ挑む英気を養いました。

4 日蓮宗総本山身延山久遠寺

 日本仏教三大霊山、西の比叡山高野山と並び東を代表する身延山は、身延町がありJR身延線が走り身延山高校・大学まで有する一大宗教都市の様相です。本堂に向かうにはケーブルカーもありましたが、やはり三門をくぐり石段を登ってこその巡礼、迷わず挑戦しました。三門は東大寺の南大門級で山中だけに圧倒されます。石段の段数は僅か287段ですが高低差が104m、つまり一つの段が普通の石段の倍近く、金比羅さんよりキツそう!と思いながらはしごの様な石段を登ります。
 本堂に着いた時は、感動!というよりはもう苦しくならないという安堵感で、ほっこりでした。ロープウェイで奥の院に上り富士山を見る予定は残念ながら雨天のため中止にしましたが、スケール大きい堂塔に囲まれ濃厚な時間が過ごせました。

 身延山から見られなかった富士山ですが、翌日精進湖畔でカメラに収めました。



 

106 冬の足音

1 全国旅行支援を利用して
 伝建地区・一宮訪問の旅を再開、今回の目的地は房総半島と山梨県中心に二泊三日の計画です。日程に余裕を持たせるため前日午後に出発し、夏の暑い間は避けていた車中泊のため足柄SAに向かいました。https://goo.gl/maps/zfsNQ7Kfw53xMoGQ7

 翌日からの二泊はホテル利用でしたが、全国旅行支援を利用したので(40%の割引と3000円のクーポン)とてもリーズナブルな旅でした。
 ・アパホテル八王子駅北・・・クーポン利用 -2,675円 支払額 3,725円
 ・甲府ワシントンホテル・・・クーポン利用 -2,440円 支払額 3,660円
 ・地域クーポン2日分 3,000円×2=6,000円  実質負担額 1,385円

2 車中泊お奨めの場所
 SAで車を停める時、手前が空いていればそこに停める事が多いと思います。これが道の駅なら、全体をぐるっと見てきてから場所を決める事が出来るのですが、SAのパーキングは逆走できないので手前ばかりが混んでしまい、意外と奥が空いていてがく然とした事が何度もありました。https://sapa.c-nexco.co.jp/sapa?sapainfoid=3

 事前に足柄SAの航空写真やマップを見て、奥に広大なエリアがある事が確認できていたので、迷わず出口方向に向かいました。するとやはり広々とした駐車スペースが残っていて(画像右)、トラックの音に邪魔される事なく、ゆっくり車中泊できました。

3 朝のSAは冬の気配
 翌朝目覚めて車外に出ると、かなり寒くてびっくり。念のため冬用シュラフを持参したのが正解でした。厚い目の上着も持ってきていたのでそれを羽織って洗面に・・・・。すると半袖姿で小走りの人がちらほら、最近は夏の終わりが冬の始まりみたいな気候になるので、よく分かります。
 車の中のペットボトルを見ると凹んでいました。「ええっ」と思って計器盤の気温を確認すると10℃、確実に冬が近付いていました。

4 富士山の衣替え
 丁度一ヶ月前に関東地方を訪ねた際(97 富士山が見えた!)には、初めて見た冠雪のない富士山でしたが、「この寒さなら富士山も上の方は白いかも・・・」と思いながら本栖湖に立ち寄ると、頂上付近だけでなく中腹まで雪化粧に変わっていました。僅か一ヶ月、季節の進行は早いですね(笑)

 

 

105 芸術の秋 食欲の秋

1 明智光秀の居城にて
 亀岡市で開催中の「城跡芸術展」を見て来ました。「城」と「芸術」のコラボ、なかなか珍しくて面白い企画です。2018年から行われている「かめおか霧の芸術祭」のコア・イベントとも言うべき取組で、地元ゆかりの27名のアーチスト(絵画・彫刻etc.)の作品が、丹波亀山城跡の本丸一帯に展示されていました。

2 フランス帰りのデザイナー
 パンフレットを手に取ると、見所がたくさんある事が分かりますが、私のお目当ては仲良くしているYUKO KIMOTO(https://www.yulto.com/)さんの作品です。本人曰く「会期の進行に合わせ変化していくのを見てもらいたいので、まだ未完成です!」と聞いていたので、どんな表現になっているのかを楽しみに言ったら、何と絵画ではなく今年は立体でした。テントの中の絵は刺繍がされている様で、この辺りは元シャネルのデザイナーならではといった感じでしょうか。

3 植物園と彫刻のコラボ
 大本花明山植物園は、亀山城の外堀「南郷池」に突き出した場所で、城跡の土塁も上手く展示に利用されていて、とても新鮮な感じです。園内はビオトープのような自然な雰囲気ですので、どこか瀬戸内国際芸術祭(トリエンナーレ)を彷彿とさせる感じで、とてもリラックスした時間を過ごすことができました。
 ただそんな中に突如現れる岩野克人さんの「MENTAL CHAIR Ⅲ」「Huge Foot」 という作品には驚きました。画像でも十分伝わると思いますが、実物は圧巻でした。ぜひ会場でご覧ください(10/25まで)。

4 そして実りの秋
 そして、「49 私の畑作り」「89 私の畑作りその後」で記事にしていた横着農業のさつまいも作り、無事収穫が終わりました。孫達に声をかけると、息子の所も娘の所も親も一緒に来たので、にぎやかないも掘りになりました。3畝の栽培だったので収穫量が多く、知人や近所に随分配りましたが、まだまだ食べ切れません。家内に頼むのも悪いので、最近は自分でいろいろ作っています。昨日は初めて大学芋に挑戦しました(笑)

 

 

104 篠山河原町の無電柱化

 随分以前に訪れた丹波篠山市の伝建地区、篠山城周辺の武家屋敷河原町の商家群ですが、特に後者の方は古いものの雑然とした印象があり、再訪したいとは思いませんでした。ところがネットの情報で無電柱化が進んだことを知り、一昨日丹波市へ出かけたついでに6年ぶりに立ち寄ってみることにしました。
https://www.city.tambasasayama.lg.jp/news/2021/21_04/16216.html
 激変していました。電柱がなくなると景観の中から「印象の良くない縦線」(電信柱)が消えるだけでなく、同じく「印象の悪い横線」(電線)が消えますから、街角の空気が澄んだ様な感じがします。丹波古陶館の方にその事を伝えると、係の女性は「そうなんですよ。空が広くなった気がします!」と笑顔で仰有っていて、感動を共有できました。

(上)平成28年(下)令和4年  無電柱化で別の町の様になった丹波篠山市の「河原町妻入商家群」  

この日は絶好の秋晴れ、澄み渡った青い空だけに一層空が広く感じられました。まさに「ザ伝建地区」

 これで篠山城の大書院や御徒士町通りの整備も合わせて、町全体が甦ったというかヴァージョンアップした感じで、何も私のためにしてもらった訳ではないのですが「ありがとう篠山!」という気持ちになりました。

城下町武家屋敷安間家史料館と御徒士武家屋敷群、茅葺きのため他所とはまた違った雰囲気の城下町

篠山は戦国期には波多野氏が活躍した地域、その居城八上城と麓の八上小学校。河原町から1km地点で撮影

 

 

103 東日本随一 佐原の街並み

1 東の美観地区
 東日本の伝建地区では、以前から最も訪れたいと思っていた町が佐原でした。画像で見ていると景観はちょうど倉敷の美観地区のようで、倉敷の大原美術館に対して佐原は伊能忠敬記念館があり、地区を流れる川には「くらしき川舟流し」と同様「小江戸さわら舟めぐり」があり、どちらも旅情が高まる素敵な地域です。
 グーグルのマップで見つけておいた町並み観光駐車場に入りました。料金は一日500円、伊能忠敬記念館に隣接していて有名観光地でもあるだけに、仕方ないかなと言う料金ですが、理想は景観保存協力金のような名称で300円ぐらいだと、ありがたいなと言う感じです。実際は無料の地区が圧倒的に多いので、多少の割高感を感じてしまいました。たかが駐車料金ですが、そこに町づくりのコンセプトが集約されているので大切にしたいポイントです。

2 絵になる光景
 駐車場から伊能忠敬記念館の脇を抜けると、橋を挟んだ向かいに伊能忠敬旧宅が見えて来ました。佐原の町並の中でも、一番行きたいと思っていた辺りにいきなり出て驚きでした。乗船場も直ぐそこです。多くの伝建地区の撮影では、歴史的な建造物に対象を絞ってカメラを向け、画角とズームレベルを決めシャッターを押す所ですが、ここ佐原地区はどうカメラを向けても「きちんと絵になる」(表現はやや変ですが・・・・)地区で、本当に素晴らしい街並み、まさしく「ザ伝建地区」と言った感じの場所です。
 しかも倉敷の美観地区よりも少し長いくらいのエリアなので、質量共に立派な伝統的建造物群保存地区ということになります。もちろん倉敷の方が15年近く早い時期に指定されていますので、入っているショップ等も含めより洗練された感じではありますが、佐原も後15年経てばもっと変わるだろうという期待が大きい地域です。東日本は伝建地区の絶対数が少ないだけに、頑張ってほしい所です。

3 伊能忠敬記念館
 街を一巡し帰りに伊能忠敬記念館に入りました。伊能図には大図・中図・小図がありますが、私の目当ては大図で関西地域を見て、私の住む町に忠敬が来ていることを確認することでした。そしてありました。我が家の近所に旧街道が城下町らしくほぼ90度に折れ曲がる場所があります。その場所が忠敬の測量図にありました。
 文化11年(1814年)伊能忠敬は我が町にも来ていたのです。感動でした!

       記念館発行の関連資料と第7次伊能測量隊宿泊地(伊能忠敬e資料館より)

 

102 日本三大神宮(延喜式)

1 ホテルチェーンの活用
 全国へのツアーは、滞在コストを抑えるため車中泊中心の予定でしたが、夏場に入り車では暑くて眠りが十分取れないことから、ホテル泊に変更して来ました。もちろん全国を回るので予算の節約第一ですが、安ければ良いというものでもありません(実際酷い施設も!)。そんな中、だんだんルートインが価格と内容のバランスが良いなと感じる様になりました。
 何と言っても駐車場が広く車をホテルに横付け出来ます。建物も部屋もそこそこ綺麗な上に大浴場があって疲れが取りやすいのも長旅には魅力です。またチェーンで展開しているので(約300店舗)、どの都市でも同じ環境で宿泊できるので、旅を楽にしてくれることが分かりました。

ルートイン神栖から望む鹿島臨海工業地帯。昭和の国家プロジェクト巨大コンビナート、2万2千人が働く。

2 常陸国下総国の一宮
 朝のスタートが一宮だと縁起が良い感じで、関東最終日は常陸国一宮の鹿島神宮と、下総国一宮香取神宮への参拝で始めました。
 鹿島神宮香取神宮は一宮の中でずっと気になっていた場所です。二つの一宮が霞ヶ浦を挟んでひじょうに近い場所にあって、しかも二社そろって「神宮」で全国的にも名を馳せているからです。この二社に伊勢神宮を合わせて、延喜式神名帳には「日本三大神宮」と記されています。
 父の話も気になっていました。昭和20年9月20日に香取の陸軍戦車学校に入隊が決まっていて、従軍の準備中に終戦になったと言う事を、生前よく口にしていました。少し時間がずれれば父が戦死し、私は生まれてなかった事もあり得たので驚きです(香取神宮のご加護かも知れません!)。
 そんな事を思いながら、二つの神宮にお参りしました。秋分の日と言うこともあり、大勢の参拝者でした。御祭神はどちらも戦の神様なので、部活の高校生達がチームでお参りしているのに出会いました。親子での参拝もよく見かけたので、同様の願いが人々にあるのかも知れません。関西で言うと石清水八幡宮の様な感じでしょうか・・・・?

常陸国一宮 鹿島神宮

鹿島神宮の大鳥居と、日本三大楼門(筥崎宮阿蘇神社)に数えられる堂々とした趣の楼門(国重要文化財

「令和の大改修」、十二年に一度の大祭に向け、幣殿・拝殿・奥宮・楼門(国指定文化財)の修繕工事中

下総国一宮 香取神宮

駐車場からは鳥居・総門をくぐり楼門を目指した後、拝殿本殿へ。何れも国の重要文化財で色彩も目映い。

見事な楼門(国重要文化財)。楼上の額は帝国海軍の巡洋艦「香取」ゆかりの「東郷平八郎」の筆によるもの。

色彩の美しい拝殿と本殿。多くの家族連れが訪れ、引っ切りなしに参拝者の方と出会う活気のある境内でした。



 

101 伝建地区訪問のコツ

1 伝建地区見学の悩み
 伝建地区の見学で難しいのは、①エリア指定なのでどこを訪ねれば良いか分かりにくい・②情報発信地となっている「まちなみ交流館」的な場所が見つかりにくい・③公式の駐車場が見つけにくいなどです。状況がよく分かっている地元からの発信は、地区のことが(もっと言えばその場所が属する市町村や都道府県のことが)全く分からないビジターには、意外に理解しにくいものです。
 今回の関東訪問で、群馬県中之条町六合赤岩地区は、それらの対応が万全でした。確かに山村集落の場合は規模が小さいので、それらが容易いと言う側面はありますが、文化庁も建物の修復や町なみの保全と共に、ビジターセンターや駐車場の整備と電柱の地中化に、もっと予算を割り当ててほしいなと思います。

   対岸の展望駐車場に設けられた地区のマップ    駐車場と売店も兼ねる赤岩重伝建案内所

2 令和4年版『歴史の町並』
 六合赤岩で全国伝統的建造物群保存地区協議会が発行する、令和4年版『歴史の町並』が入手できました。僅か200円で販売されていましたので、「これって売っていたんだ!」と喜びながら先輩も一緒に買い求めました。昨年青っぽい表紙から一変、紅葉がきれいな秋の装いで、表の画像が角館で裏が御手洗、どちらも見るなり「ここはあの町だ!」と分かって幸せな気分になりました。旅行者の願いとしては、この冊子にある各画像の脇にQRコードを添付して、「案内所・駐車場」と「まちなみガイドマップ」が分かる様になっていれば言うことがないんですが・・・・!

3 建物が離れている町の難しさ
 桐生新町地区は、近代以降の蔵やノコギリ屋根工場など、多様な伝統的建造物が多く残っていて、製織町としての歴史を良く残しています。町は日本遺産「かかあ天下ーぐんまの絹物語ー」にも認定されていて、伝建地区もその構成文化財です。
 平成後半に指定された伝建地区は、昭和の伝建地区の様に十分観光化されている訳ではないので、「るるぶ」や「マップル」と言った旅行ガイドには記載がないか、あっても小さな囲みであることがほとんどです。ここ桐生も次に訪れた真壁も、どこを見れば良いのか判然としません。柳井や筑後吉井の様に、建物が列を成して町並を形成している所は良いのですが、町の中にポツンポツンと離れて残っている場合は尚更です。
 対策ですが、取り敢えず全建協のサイトに各地区の画像が4・5枚アップされていますので、そこが訪問者に見せたい建物だと考えてまずそこを訪れます。町の人に出会えれば「お薦めの場所はありますか?」など聞けるので、後は見通しが立ちます。

     訪問者用駐車場の隣にある「矢野本店本舗および店蔵」と「有鄰館(旧矢野蔵群)」

    「酒屋小路」の通りの様子と、特徴あるノコギリ屋根の「旧曽我織物新工場」

4 見学に悩んだ町真壁
 事前の下調べで最も苦労した町でした。まず登録文化財の建物が48番まであってマップに記載されているのですが、多くて的が絞りきれません。またそれらの建物が飛び飛びで、ガイドマップを見てグーグルストリートで場所を確認しようとするのですが、なかなか所在を確定できず苦労しました(マップの上が北でなく混乱)。
 他方、「真壁伝承館」はよく整備されていて駐車場も整い、歴史資料館も兼ねる気持ちの良い案内所でした。ただメインストリートから入っていて、その割に分かりやすい案内表示がなく、アクセスで結構悩みました。それらが重なって、この町ほど目的の建物に辿り着けた時喜んだことは初めてでした。

 (上)町の歴史資料館を兼ねる「真壁伝承館」 (下)旧真壁郵便局・木村家住宅・潮田家住宅・三輪家住宅